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「アイルランド幻想紀行」 近藤耕人


本書はジェイムス・ジョイスゆかりの地を訪ねる旅の記録。アイルランドは著名な文学者を数多く輩出しているので、ジョイス以外の文学者のゆかりの地も登場している。ところどころに幻想的な記述があるので「幻想紀行」となっているのではないかと思う。

本書を読むと、パブで飲むのは決まってギネス。アイルランドのひとは、ビールはギネスしか飲まないかのようだ。たまに“Irish Whiskey” が登場する。「新鮮な魚と野菜とスープと、そしてギネス。わが愛するアイルランド」と著者は書いている。管理人はアイルランドへ行ったことがないので想像するしかないが、ゴルフの全英オープンの中継で見るような景色なんだろうと思う。強い風が吹き、どんよりした空に丘陵が続き、羊や牛がいるイメージ。20世紀の北アイルランドは紛争の時代。本書の中にもそれに関連する記述がある。本書は1999年初版なので、IRAやLVFのテロが続いたころに著者は旅をしていたのではないかと思われる。今度のロンドン五輪で、競技場の近くにミサイルが配備されていたのをニュースで見て驚いた。

印象に残った箇所を引用する。

朝はだれとも口をききたくないものだ。夜じゅう自分の頭のなかで夢を見ていて口を開かないでいたのだ。もしかしたら、それがほんとうの自分なのかもしれないのだ。せっかく自分に出会い、そこですごしたのだ。まだ辺りに自分の余韻が残っている。それを乱したくないのだ。

恐ろしいもの、危険なものを目のあたりにすると、そこから身を引いて安全な場所に戻る努力をするよりも、いっそその危ない場所に身を投じ、なんの努力もせずに楽になりたいという気持ちが頭をもたげるのはなぜだろう。怠惰のせいか。そういうとき、自分の身を護る生存本能は働かないで、死を意味し、存在の消滅であるはずの場所がはっきりと目に見えていながら、それは恐ろしい映画やテレビの場面のように、わたしから隔てられた世界ではなく、わたしの身体とつながった、その延長の空であって、わたしがそこへ移動することは多少の苦痛をともなうかもしれないが、いまいる場所に重力や怨念や嫉妬に逆らって踏み留まるよりも、抵抗を止めてあっさり身を預け、回転する自然や機械のなすがままになる方がどれほど安心で安定しているかと思う。

わたしの苦悩は、わたしがいまどこにいて、どこに向っているのかわからない悲しみだ。わたしは外に出た。目の前に広いグリーンが広がると、わたしは現実の遠近感に救われる。絵画の遠近画法はどんなに優れていてもそれで心が解放されることはない。視線が幾何学的に一点に向って集中するだけで、心は額縁の手前で留まっている。

窓際にいって灰白の空に重い気配の雲が群がっているのを眺めた。鴎が透明な大気の染みのように飛ぶ。目を下ろすと、向かいの写真館の幸福家族のウインドウが見えた。幸せな人は写真館のウインドウのなかにしかいないのだろう。

だれも、なぜ自分はここにいるのか知らない。気がついてみたら自分はここにいる。それをわたしという。わたしは無数の見えないひとの手でここに導かれ、そして自分でここにやってきたと思っている。わたしのなかには、親も含めてたくさんのひとがいる。背後に身を隠しては遠い視線で眺めている。