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「見えない音、聴こえない絵」 大竹伸朗


本書は、文芸誌「新潮」に2004年2月号から2008年10月号までに発表したエッセイと2003年に書いた一編を加えてまとめたもの。管理人は「見えない音、聴こえない絵」を新しいものから古いものへ時間を遡って読んでいることになる。2006年に東京都現代美術館で「全景」展があった為、その展覧会の準備や開催中にあるイベントに関する記述が多い。

「ビ」に続いて本書を読んでみて、著者の制作衝動についておぼろげながらイメージがつかめたような気がする。つかめたような気がするだけで、明確に理解したとは言いにくい。普通の意味で美術の対象とはならないようなものに著者が反応するとき、その衝動らしきものが湧き上がってくるようだ。予定調和的なものではなく、街中にあるものに突然閃くとき、予想もしないものの組み合わせに出会ったとき等。著者は「全景」展のイベントのなかで「作品制作に駆り立てるのは一体何ですか」とよく聞かれた。その質問に対して著者は次のように述べている。

結局「何ですか?」「こうですよ」といったことではないのだ。「道理」のない動機を言葉で捕えようとすると、そこから途端に頭の中の言葉が散りはじめる。言ってみれば「頭上に漂い続ける道理のない何か」が自分にとって制作衝動に大きく関係しているらしい。そんなことだ。
日常の中で感じる到底太刀打ちのできない「理不尽な力」、それに流されないためには「理不尽な何か」を持って作品制作をしていく以外に方法はない。そこに「道理」は見当たらない。
人の感情とも意図ともまた誰かの意思とも異なる何か、いつの時代にも誰の頭上にもあり続ける名付けえぬ曖昧な透明雲、自分が感知し続けるその雲に押しつぶされないよう、そいつに吹き飛ばされぬようバランスを保つ唯一の方法、それが自分にとってモノを創り続けることなのではないか?

コンセプト重視の現代美術の世界では、「作品」たるもの、まず誰もが理解できるように作者は「言葉」に置き換えらられなくてならないというのが暗黙の掟らしい。管理人は東川町の写真フェスタで壁を撮った作品をキュレターに見せたとき、「何を表現したかったのですか」と聞かれて言葉に詰まってしまった。本書で、自分にとって制作にはいつも、言葉を一切無意味にする何かしらの「事故」や「矛盾」が必要だという一節を読んだときにはその通りと思った。何かを制作し続けるというのはしんどいことだとこの頃つとに感じる。