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「新版 プリーモ・レーヴィへの旅」 徐京植


本書は長らく絶版になっていた「プリーモ・レーヴィへの旅」の新版。まえがき、第二部と初版以降に出版されたプリーモ・レーヴィ関連する文献が追加されている。プリーモ・レーヴィはユダヤ系イタリア人で、アウシュビッツ収容所から生還し、1987年に自殺した。レーヴィの「アウシュビッツは終わらない(原題:これが人間か)」はフランクル「夜と霧」ともにアウシュヴィッツ生還者の著作として知られている。しかしながら、レーヴィの著作は「夜と霧」ほど読まれていない。

今から18年前、著者がレーヴィの墓を訪れるためイタリアのトリノへ旅したときに感じたことや日本に帰ってきて何を考えたのかを本書で述べている。新版では初版から15年たった現在の状況も踏まえた考察が第二部にある。プリーモ・レーヴィは大学で化学を学び、語学も堪能であったためアウシュビッツ収容所から奇跡的に生還した。レーヴィは収容所の研究室での作業に配置され、そこでミュラー博士という民間人に出会った。その民間人は「あなたはなぜそんなに不安そう様子をしているのですか」と尋ねた。レーヴィはこの男は何も分かっていないのだと考えた。収容所から生還し、トリノの化学会社で働いていたレーヴィは原材料に関するクレームの手紙をドイツの輸入元に出したところ返事にミュラー博士と署名があった。レーヴィは確認の手紙を著作と一緒に送ったところ、彼はまさしく収容所で出会ったミュラー博士だった。ミュラー博士は現在も同じ会社の社員だった。

ミュラーは善意で小心であり、正直で無気力だった。大多数のドイツ人と同じように、無意識のうちに当時の自らの無関心や無気力を正当化しようとしていた。直接の加害者でなかったとしても、少なくともナチの犯罪の加担者ないし受益者だった人物が、犠牲者に向かって、重々しい口調で、「敵への愛」や「人間への信頼」を説くのである。そのことの浅薄さ、いやらしさ・・・。しかも、彼が頑固なナチだったなら話は単純だったのだが、当惑させられることには、「過去の克服」を願っているというのである。

レーヴィはミュラーから電話をもらい会う約束をした。本当はミュラーと会いたくなかったレーヴィは、「決着をつける手紙」を書いたが投函されなかった。ミュラーが電話の直後病死してしまったからだ。

レーヴィは自分の証言が他者に伝わらないことに悩んでいた。ヒロシマ・ナカサキの被爆経験や先頃の東日本大震災の被災経験を聴いたり読んだりしても、「こちら側」にとっては「他人事」的な部分が残り、全てを分かち合うことが難しい。著者が本書を書いた動機の一つに「記憶の闘い」があった。目先の私利私欲、卑屈な保身、知的怠惰と無気力、歪んだ自己愛、その他の様々の理由で事実を受け入れることを人々は拒絶し、差別、不寛容、暴力が世界の各地で起っている。ホロコーストから70年、レーヴィの自殺から30年近く経ったが、人々は証言者たちに耳を傾けようとはせず、少しも学ばなかった。

危機の渦中にいる人々は「作られた慰めの真実」にすがりつこうとする。危機の現場から距離の離れた人々は想像力を及ぼすことができない。この現象を私は「同心円のパラドクス」と呼んだことがある。しかし、このままでは、真相を隠蔽し、被害を軽く見せ、責任を回避し、利潤や軍事力を保持し続けようとする人々、「致命的な雷のよこしまな管理人たち」を利するばかりだ。被害の中心から遠い人々ほど被害の真実にみずからの想像力を及ぼそうと努めなければならず、被害の中心に近い人々ほど勇気をもって過酷な真実を直視しなければならない。証言者(表現者)は「表象の限界」を超える証言(表象)に挑まなければならず、読者はみずからの「想像力の限界」を超える想像力を発揮しようと努めなければならない。惨劇の再来を防ぐため、この時代が私たちにそのことを要求している。そのような思考の「尺度」を示した存在が、プリーモ・レーヴィなのである。

管理人はレーヴィの「アウシュビッツは終わらない」を買ってきたがまだ読んでいない。