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「東と西 横光利一の旅愁」 関川夏央


「新感覚派」と呼ばれる作家はあまりなじみがないというか教科書でしか知らない。横光利一は名前を知っていても読んだことのない作家で肖像写真の記憶しかない。著者も作品よりもその肖像写真がよく知られていると書いている。本書は、そんな横光利一の作品「旅愁」を軸として、明治末・大正から昭和10年代を描いている。

この本を読んでも横光利一の「旅愁」を手に取ろうという気はおこらなかった。本書自体は面白いのだが、引用を読んでも一向に「旅愁」という小説の面白さがわからなかった。どちらかというと「欧州旅行」なら読んでもいいかなと思う。横光利一というひとも、まじめで誠実というのはわかるが、胃が痛いというほかこれといって印象に残こることがない。太平洋戦争中の神がかった言動も時代に流されている為なのか、今からみると子供じみるている感じがする。端役として出てくる森鴎外、林芙美子、永井荷風、山田風太郎といった作家たちのほうが面白いと思った。

著者が横光利一の「旅愁」を取り上げた理由は、戦前という時代への興味が湧いたとき、当時の日本社会のヨーロッパ文化・文学の受容の仕方を知りたく思ったためとあとがきにある。「旅愁」から教訓を得るとすれば、旅は一人で行かないほうがよいということかと著者は書いている。このような評価では「旅愁」を読もうという気が起こるひとは少ないと思うが。

昭和十一年(一九三六)の経験を昭和十二年から書き始め、昭和二十一年に中断するときも、つまり戦中・戦後を経ても、その小説的時制はついに昭和十二年秋に固着したままだったとは奇である。「懐かしい戦前」という言葉に象徴されるようなセンスがたしかにそこにはあるが、それが「サロン」的人士の関係と、議論と称した空論の取り交わしに終始するなら、やはり脆弱かつ非現実的のそしりはまぬがれない。「サロン」の描写を読む限り、戦前は痩せている。
そこまでヨーロッパを気にすることはないだろう。「日本がローカルならヨーロッパもローカル」「東は東、西は西」と微笑しつつ見切ってしまえたなら、横光利一は胃潰瘍にもならず、早死にもしなかったのでは、と思う。だが、そうはできなかった。