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「ヴォイドへの旅」 港千尋


ヴォイド(void)=空虚、虚空、心の穴、深淵と辞書にある。管理人はvoidというとC言語のほうを思い出す。ヴォイドへの旅というのは空虚への旅となりカフカ的世界を勝手に想像したけれども、本書では絵画、彫刻、建築といった芸術と近代科学に言及している。異色なのはダーウィンの「ミミズと土」をとりあげている章。著者自身が撮影した写真が各章にある。

現代美術で何も展示しない展覧会を「ヴォイド」展というらしい。招待状がギャラリーから来て、展覧会へ行ってみたらあるのはだだの白い壁だけ。1958年パリのイリス・クレール・ギャラリーで開かれたのが最初と本書にある。正式な個展名は「安定化された絵画的感覚の原資状態による感覚の特殊化」といった難解なもの。最近のコンセプチュアル・アートでは、どこまでが作品なの戸惑ってしまうものがある。ジョン・ケージの「4分33秒」も最初に聴きに来たひとたちは相当困惑したのではないだろうか。何も演奏しない時間だけが流れる音楽。

著者によるとヴォイドには、3つの種類があるという。心が空っぽになるといった表現のような身体的なヴォイド。洞窟のような地質学的なヴォイド。そして宇宙的なヴォイド。

わたしたちは以上のような三つのヴォイドが互いに結びつきながら、現代彫刻や建築に作用している様子をヘンリー・ムーアやフレドリック・キースラーなどさまざまな作家の制作の現場で観察してきた。芸術と科学は、特に西欧においては、それぞれのやり方でヴォイドを使用してきたのだとも言える。芸術のほうは説明の必要はないだろうが、近代科学は三つのヴォイドの仕組みを物質レベルで解明し、説明をつけてきたのだった。空虚を実体と見るかプロセスと見るかで、アプローチは変わってくる。そこに無いもの、淘汰されたもの、忘れられているもの、無くなったあとの痕跡・・・・といった空虚をプロセスとしてとらえるにあたって、フロイトとダーウィンが果たした役割はここであらためて指摘するまでもないだろう。フロイトが心にたいして、ダーウィンが地球と生命について行ったことは、ヴォイドを使用して考えることの最良にして最大の貢献であると言えるかもしれない。