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「二つの同時代史」 大岡昇平 埴谷雄高


本書は雑誌「世界」に連載された大岡昇平さんと埴谷雄高さんとの対談である。管理人は雑誌「世界」の連載を全て読んでいたが、単行本として出版されたときには読まなかった。とにかく面白い対談で、次号の「世界」がでるのが待ち遠しかった。2年間欠かさず雑誌「世界」の連載を読んだのはこの対談が初めてだった。連載修了後、「世界」をあまり読まなくなってしまった。

最近、新刊書で読みたい本が見つからないときは、昔読んで面白かった本を読み返そうと思うようになった。新しいものを追いかける歳でもないので。この対談集が単行本として出版されたときに読まなかった理由は忘れてしまったが、読もうとした時には単行本はすでに絶版だった。今回は岩波現代文庫のほうを読んだ。若いときに読んだものは、だいたい覚えているものでこの対談集も懐かしかった。

当時は核兵器廃絶が盛り上がっており、反核運動がいろいろあった。そのとき吉本隆明さんの「反核異論」という本を読んで、それ以来吉本さんの著作を読むのをやめた。いちおう「共同幻想論」とか「言語にとって美とはなにか」とか吉本さんの著作は色々読んでいたのだけれども。確か吉本さんと中上健次さんが別の雑誌の対談で、この大岡・埴谷対談を耄碌した老人の妄言とか貶していた記憶がある。本書で大岡さんが指摘しているように中上さんもこの頃停滞していた。管理人は大岡・埴谷対談のほうが真っ当な気がした。今となってはこの4人は全て故人となってしまったが。

どんな感じの対談なのか引用してみる。

大岡:ウィンデルバンドの時代は、科学がめざましく活動していたときだろう。それで、そういう気運に対して批判的立場を強調したわけだ。ヒュームをカントの先駆者に仕立て上げてあるのもそういう文脈だよ。同時代のベルクソンだって科学批判だ。科学者の言うとおりに世界が理解できたら、頭で考えたってしようがない、という問題意識があったんだよ。
埴谷:ぼくは、カントの二律背反とか、誤謬推理、不可能性といったものをついに越えたかのように「見せかけ、思いこませ」得るのは文学だけだと思ったんだよ。哲学はそこで立ちどまるけれども、文学は越えられるだろうとね。それでぼくは自信を持った。これは文学をやる以外にない。社会革命なんてレーニンでなければうまくやれないけれど、おれは文学で一種の全的革命をやろう、不可能とか、誤謬とか、二律背反を越えてみようと思ったんだよ。