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「葉蘭をめぐる冒険」 川端康雄


みすず書房の近刊情報で「葉蘭をめぐる冒険」という書名だけを見たとき、葉蘭をめぐって世界を旅行した記録かと思った。実際は、「ヴィクトリア朝中期から20世紀半ばまでラスキン、モリス、ワイルドほか作家・詩人と民衆文化との埋もれたつながりをあざやかに読み解く100年史」。オーウェルの「葉蘭をそよがせよ」についての論文「葉蘭をめぐる冒険」から書名がとられている。

葉蘭は長い葉をもち、一年中青々している観葉植物。原産は中国。管理人の家にもあって、手間の掛からない植物。1820年代初頭パークスという人がロンドン・中国間の航海を行い、薔薇、菊、椿などと共に中国から持ち帰ったのがイギリスに入った最初の葉蘭だった。悪条件でも育つ葉蘭はイギリス都市の中産階級の家庭で観葉植物として一般化した。葉蘭はその耐久性から、「砲弾の植物」とか「鋳鉄の植物」という綽名がついたそうだ。オーウェルの「葉蘭をそよがせよ」が書かれた1930年代には、葉蘭は「退屈な中流家庭の体面の象徴」とみなされていた。ではなぜオーウェルは「国民的な冗談」の種となっていた葉蘭を小説の題名としたのか。

現代文明の貪欲さと恐怖とをはるかに高貴なものに変容させてしまう庶民の不思議な力への賛美がこおでなされている。ロウアー・ミドルの生活力への共感と、その生き方に連なろうとするゴードンの決意あるいは回心は、同時に詩人=反逆者としての自己を断念することでもあった。彼は長く創作に打ち込んできた詩『ロンドンの歓び』の原稿を下水に投げ捨てる。おりしも近くの家の窓には葉蘭が見える。「汝は勝てり、おお、葉蘭よ!」と、ゴードンの葉蘭への「敗北」が語られる。詩人としての断念を伴うものであるとはいえ、前章の「勝利」の苦さと逆に、ここでは葉蘭をめぐる冒険の果てにディーセンシーという「いわば下からの自律的な道徳律」をつかみとったゴードンの再生の喜びがある。「ディーセントなくらし」の可能性を否定する「過激なペシミズム」を回避できた解放感がある。ローズマリーと結婚したゴードンは、当然のように新居のアパートに葉蘭を置くことになる。

本書には、ジョン・ラスキンやウィリアムス・モリスの論考もあり、非常に面白かった。というのは管理人はラスキンやモリスの著作を読んだことがないということがあるかもしれない。オーウェルだけは著作や関連する評論を読んんだことがあった。これからラスキンやモリス関連の著作を読もうかと思う。思わぬ「葉蘭をめぐる冒険」になりそうだ。