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「アイルランドモノ語り」 栩木伸明


本書はアイルランドで見つけた不思議なモノをきっかけに、アイルランドの歴史や紀行について書かれたエッセイ集。不思議なモノとは、わらでできた雌鳥の巣箱、木彫りの馬車と御者、黒い円筒形の小箱、「子供のためのアイルランド歴史」の古書、古い肖像画、真鍮のボタン、気球のポストカード、日曜画家の絵、労働運動関係の歌ばかりを集めたCD等々。アイルランドと言えば、ジョイス、イェーツ、U2くらいしか思い浮かばない管理人にとって興味深い話がいろいろあった。アイルランド、北アイルランド、英国の関係史は複雑で死者を伴わない事柄は少ないという。本書を読んでいる最中、札幌は気温が低く、風が強く小雨交じりの天候が続いた。アイルランドもこんな感じの天気なだろうかと思った。

一番面白かったというか知らなかったのが最後の”メアリーは「できません!」と言った”だった。アイルランドのスーパーマーケット・ダンズで、レジをしていた若い娘がアパルトヘイトに反対して、南アフリカ産のグレープフルーツをレジ打ちするのを拒否した。職場の幹部から態度を翻すよう進められたが彼女は拒否したので休職処分になった。仲間の店員9人が彼女に賛同してストライキが始まった。2~3週間で決着がつくと思っていたところ2年9ヶ月もかかった。南アフリカからの輸入品のレジ打ちを拒否した店員は他の店でもいたが特に処分されなかった。メアリーがレジ打ちするのを拒否したのは、アパルトヘイト問題に関心があったというよりも単に組合の指示書に従ったためらしい。スト中は組合から支払われるスト手当だけで、仲間には、ローンが払えなくなり自宅を手放したものもいた。

週給二十一ポンドで糊口をしのぎ、自分たちの日常生活とは縁もゆかりもない遠国からの輸入品をレジ打ちしない権利を求めて、二年半以上もストライキを続けた若者たちの頑固さを、いったいどう説明したらいいのだろう。参加者が十一人以上に増えず、アイルランド労働組合会議がスト支持を決めるまでに一年もかかったのをみれば、世間のひとびとの無関心ないし冷ややかなまなざしが如実にうかがえる。しかもこのストは、メアリーが回顧したように、南アフリカの窮状にたいする共感や同情に突き動かされた行為でもなかった。だとすれば、衆を頼むのでなく、大義に殉ずるというたぐいの精神ともかけ離れた、かれらの無鉄砲なまでの意固地さは、いったい何を根拠にしていたのだろう?引っ込みがつかなくなったのかもしれないし、はじめたことはやりとげると決めたのかもしれないが、ひとりひとりがそれぞれの筋道をとおして忠実であろうとした相手は、最終的に自分自身だったのではないか?かれらの内なる良心に根を張って葉を茂らせていたのは、桁外れに楽観的な自分への信頼ではなかったのか?ぼくはかれらの意固地さに、深い敬意と羨望をおぼえる。

この11人の若者たちは、U2のボノに誘われアパルトヘイトに反対するミュージシャンが制作した「サンシティ」という曲にバックコーラスとして参加した。世論もようやく動き、1987年にアイルランドは南アフリカ産品の輸入禁止措置を決定した。1990年、27年間監獄にいたネルソン・マンデラが解放されたときまっさきにダブリンにやってきてメアリーに会った。しかしながらストライキが終わってもスト参加者の多くはもとの職場に戻れなかった。メアリーは職を求めてオーストラリアへ移住した。このストライキの舞台となったダンズの経営者への風刺歌の続きは本書を読んで欲しいと思う。