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「消えた国 追われた人々」 池内紀


本書の初出は「すばる」2003年1月号から2004年3月号まで連載された「東プロシア紀行」。集英社からギュンター・グラスの新作の翻訳を依頼された際、小説の舞台を歩いてみたい、旅費は自前、紀行記を書くので雑誌に載せてほしいという条件を著者がだしたそうだ。グラスの新作とは「蟹の横歩き」。このナチス・ドイツ時代のグストロフ号の海難事故を扱っている。本書には何度もこのグストロフ号のことが登場する。

管理人は東プロシアといえばケーニヒスブルグを思い出す。と言っても行ったことはないのだけれども。ケーニヒスブルグはカントが生まれ死んだ町。カントは生涯東プロシアをでることがなかった。ロマン派の作家ホフマンもこの町の生まれ。「バルト海の真珠」といわれた古都もソ連軍の侵攻により跡形もなくなった。戦後の都市作りもソ連方式で行われ、古都の面影が殆ど残っていないそうだ。町の名前もソ連軍地区司令官カリーニンにちなんだカリー二ングラード。戦時、ケーニヒスブルグが爆撃を受け市中が壊滅し、大聖堂の塔と屋根がふきとんだにもかかわず、大聖堂にあったカント廟は無傷だった。2001年大聖堂はドイツからの寄金で建物の半分が復元され、八角屋根の下に時計が取り付けられた。

ヴィルヘルム・グストロフ号は当時世界一の豪華客船だった。スイスにおけるナチス思想宣伝の指導者ヴィルヘルム・グストロフが1936年ユダヤ人青年によって射殺された。ナチスは反ユダヤキャンペーンにこの事件を利用した。ヴィルヘルム・グストロフの遺体は故郷に送られ記念碑が建てられ、翌年完成した豪華客船にヴィルヘルム・グストロフの名がつけられた。1945年1月ヴィルヘルム・グストロフ号はグディニア港に停泊していた。ソ連軍が東部戦線を拡大し、東プロシアに住んでいたドイツ人は海路から脱出を目指して港にひしめいていた。1月30日、ヴィルヘルム・グストロフ号への乗船が始まった。名簿の紙が無かったため乗船名簿は6600名で途切れる。途中、東プロシア東部の港から蒸気船で脱出してきた人々が乗船を要求したため停止。その間にソ連軍潜水艦が追跡態勢に入っていた。30日21時16分ソ連軍潜水艦の水雷がヴィルヘルム・グストロフ号に3発命中。死者9000余名(推定)。タイタニック号沈没による死者は1500人余名。グストロフ号は「史上最大の海難事故」にあたるが、海の事故となると決まってタイタニック号のことが出てくる。それは、戦後ナチスの罪業が糾弾されたなか、バルト海の海難事故は政治的に封印されたからだと著者は述べている。

日本は日本人の国と思い定めて、ごく身近なマイノリティであるアイヌ人すら忘れがちな国民性にとって、多民族・多言語の国や土地は想像が難しい。だが、自称「単一民族」国家こそ、地球上の例外であって、それを最良と考えるほうが異常なのだ。私はおぼつかない東プロシアという消えた「国」のなかに、すこぶる現代的な「国の選別」のヒナ型を見た。生まれた国と育った国、選んだ国と捨てた国。いまや人が国を選び、あるいは捨てる。国そのものが人によって選びとられ、また捨てられる。第二次世界大戦末期に、力ずくで捨てさせられたとき、千二百万人をこえるドイツ「難民」が生まれた。それははからずも、いち早く二十一世紀を先取りしていた。