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「西田哲学を開く」 小林敏明


本書は西田幾多郎の時間論に関する論文をまとめた岩波現代文庫オリジナル版。本書を読んでいて渡辺慧さんの一連の著作「時」、「時間と人間」、「時間の歴史」、「知識と推測」、「パターン認識」等を思い出した。同じ時期に本書で言及されている木村敏さんの一連の著作も読んでいた。学生の頃は難しい本を読まねばと思って無理をしていた。いまでは難解な本を読もうという気力が衰えいる。本書を読むのにも時間がかかった。

量子力学で使われている時間は方向性を持たないスカラー量のパラメータで、tと-tとを入れ替えても法則性は成り立つ。人間の時間は不可逆過程で、マイナスの時間というのはあり得ない。渡辺慧さんの時間論は、ベルクソンの影響のもと生命現象の時間を熱力学第二法則に結びつけて論じられていたが内容が難しかった。量子力学のようなミクロの理論で熱力学第二法則のようなマクロの法則を証明できるのか(時間の矢のパラドクス)。

西田哲学の用語の難解さは著作を読む障壁となっているように思う。管理人が岩波文庫の論文集を読んで悪戦苦闘したのも使われている用語に難儀した。本書で度々登場する「非連続の連続」、「永遠の今」とか有名な「純粋経験」など解説を読んでもいまだによくわからない。西田哲学の「場所」は物理の「場」の意味に近いと思っていたがどうも違うらしい。論文によってはいっそ数学記号を使って書いてくれたらと思った。本書で辛うじてわかったような気がしたのは第6章の「現在」。クロノスとカイロスとの相異が面白かった。

それはカイロスの語源が意外にも日本語の「間」と近親だということである。端的にいって、「間」は空間でも時間でもありうるからである。とくに運動が前提となっている場合には、この両者は一体となっていて切り離すことができない。身近な例をあげれば、剣道やボクシングで対戦する両選手にとって、「間」は両者の距離であると同時に、タイミングの「間」でもあって、選手自身にとってこの両者を切り離すことはできない。ちょうどそれと同じように、語源からみるかぎり、カイロスは瞬間でありながらそのなかに、片や的という場所的・空間的意味と、片やそれに的中させる時機/タイミングの意味との両義を内包させている。もしカイロスにこうした含みがなく、たんなるクロノス上の一点であったなら、それが「充実」したりすることなどありえないだろう。カイロスは時間でありながら時間でないものを含んでいるがゆえに、そこに「充満/充実」が生じ、ひいては「永遠の今」が、その自己限定を通して顔を出しうるのだ。