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「写真編集者」 西井一夫


本書は西井さんの最後の著作で、「山岸章二へのオマージュ」と副題にあるとおり、山岸章二さんに関連した文章を集めている。一部は西井さんの既出文章・対談、二部はニコンフェアでの山岸章二さんと写真家の対談が掲載されている。最後に浅井愼平さんの山岸章二さんへの公開書簡が収録されている。4.「同時代的であること」は「なぜ未だ「プロヴォーク」か」からの再掲で、5.「褒められる危険」が「写真的記憶」からの再掲。

本書は「山岸章二へのオマージュ」というより「『カメラ毎日』へのオマージュ」になっている。『カメラ毎日』が休刊したのが1985年、山岸章二さんが自死したのが1979年、西井さんが亡くなったのが2001年。写真家の作品発表の場としての写真雑誌を目指そうした『カメラ毎日』が『アサヒカメラ』や『日本カメラ』より先に休刊になったのは、カメラ雑誌があくまで「カメラ・撮影技術」がメインのアマチュア向け雑誌であることを示している。

カメラ雑誌には必ずコンテスト部門があり、プロがアマチュアの写真を選んで順位を決める。本来ならば表現者としての写真家にプロやアマの区別がないはずで、西井さん流にいうと写真にプロもアマもなく、写真は押しゃ写るんだ。『カメラ毎日』ではコンテストをやめて、作品発表のページを増やそうとしたころ営業から販売部数が減るといわれ断念したそうだ。実際は西井さんによるとコンテストアマチュアは雑誌の恒常的読者ではないようで、休刊した『カメラ毎日』に一年以上コンテスト応募が続いたそうだ。休刊後にコンテストへ応募してきた人たちは、雑誌を買いも読みもせず応募先だけ知っていたということになる。

ネットが普及しデジタル画像が主流になった現在、作品の発表の場は雑誌や写真展でもなく可能だ。「写真」の見せ方も多様化している。紙媒体の雑誌は、カメラ雑誌に限らず部数が減少しおり、WEBに移行していく思われる。「写真編集者」は古き良き時代の職業人だったとなるのだろうか。本書第一部の最後にある「これから写真家をめざす人へ」から引用する。

まず、写真をやろうと思う人は、人から「何であなたは写真を撮っているの?」というか「何であなたは写真家になったの?」と聞かれたときに、自分が写真というものを選んだ理由を言えるようにしていなければならない、ということです。おそらくこれを言えない人がいっぱいいるはずです。好きだからとか、趣味だったからとか、カメラがあったからとか、そういう理由ではなく、他人が納得しなくてもいいけれども、他人がそこに介入できる一定の論理を持った理由ではなければなりません。
それは自分の選択で決まっているはずですから、各自全部違うはずだし、自己選択の論理化なのですから、論理化は自分にしかできないはずです。ですから人が言っているようなことを真似てもぜんぜん話になりません。あっという間に反論されて終わります。
一番よくある例として、「誰々さんの写真集を見て感動した」とか、「誰々の写真を見て、ああいう写真を撮りたいと思った」という話がありますが、この手のマニュアル化された理由ではいけません。そうではなくて、あなた自身が、あなた自身のために選んだ理由でなければ通用しないということです。極端な話、金儲けのためでもいいかもしれない。私個人は、「コイツ頭悪いな」と思いますが。
それを言えない人は写真をやる必要がないのだから、写真をやめたほうがいいでしょう。金の無駄遣いだし、資源の無駄遣いでもあります。