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「アウシュビッツへの旅」 長田弘

本書を最初に読んだのは30数年前で、今回再読した。ポール・ニザンの「アデンアラビア」を知ったのはこの本だったと思う。1930年代のロシアの詩人たちの死やベンヤミンの自殺の状況を知ったのもこの本だ。本書は「アウシュビッツへの旅」という書名だが、直接「アウシュビッツ」に関連するのはあとがきのような「アウシュビッツにて」のみ。「アウシュビッツへの旅」とは1930年代の死者たちへの旅。

「カタロニア幻想紀行」は、まだフランコ独裁が続いていたときにオーウェルの「カタロニア賛歌」の舞台となった地域を車で巡った紀行。フランコ独裁政権下で人民戦線に関わった人々の痕跡を訪ねる旅は、スペイン内戦の記憶を呼び起こすことの困難さを実感するものだった。結果として戦いに勝利したものが正義であり権力となる。スペインの革命は、戦争に掠め取られ潰えさった。歴史のうえでは革命の敗北は、権力をたおし権力をつくれなかったということだけかもしれない。だが、潰え去った革命は、一人一人のうちには、みずからの大地をよく引き継げるかみずからの生の地形をよく生きられるかという問題としてあくまでも残るのだ。

過去は傲慢なといってよいほど、現在のなかに「何もない」というしかたでしか介入しないのだ。そのために、わたしたちはしばしば安んじて歴史の現在というものになずんでしまえるのだ。しかし、このみすてられた塹壕と書かれた言葉とは、いまにいたるもなお、時の流れという巻紙のうえの過去であることをまさにここにあることによって、不断に裏切りつづけているのである。この塹壕の跡に、そしておもいだされたオーウェルの言葉に、それをつくった人間よりもつくられたもののほうが確実に生きのびている証しをみることは、わたしを不安にした。

この時期になると人間は殴られたことは忘れないが、殴ったことはすぐ忘れてしまう生きものだということを痛感する。それは日本に限ったことではないけれども。被害者と加害者の立場はいつ逆転するかわからない。アウシュビッツ収容所は恐怖と悲惨の「博物館」となり、観光名所となっていた。ここにないのは、ここでひとりの人間が死んだ、ひとりの人間がみずからの生きる場所を奪われて死んだという記憶だった。わたしたちの戦後が象徴としての2度目の死をしいていてることに著者は重い恥辱を感じたと述べている。

わたしはおもった、歴史は自白してくれない。それはただ、のこされた情景の、あくまで情景の外にとどまる言葉をとおしてしか語ることをしない。それは、その言葉をわたしのものとして、現実の風景をわがものにすることができなければ、風景はわたしにとってついに歴史のアリバイにすぎない、ということだ。
言葉によって、風景のなかに、じぶんの生きる場所をつくるのだ。そしてまさに、そのことを正しくわたしたちに語るのは、わたしたちのあいだで、わたしたちの情景の外にとどまりつづけているひとりひとりの死者たちなのだ。
だから<わたしのアウシュビッツへの旅>は、こうして、わたしにとってひつような死者たちの言葉への旅にほかならなかった。この旅は、わたしにとって、じぶんの場所にほんとうにかえるためのかえり旅にほかならなかった。