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「本は友だち」 池内紀


本書は本を巡るエッセイ集。50冊余りの本が紹介されている。最初の章は、作者別になっており、最後の章は文庫などの解説。50冊余りの本で、管理人が読んだことがある本は一冊もなかった。いま池内さんの「戦争よりも本がいい」を読んでいて、パラパラめくってみて読んだことがある本はなかった。管理人の読書量はまあこんなもの。

第一章の「会いたい人に合うように」で紹介されているひとで、著作を読んだことがあるのは木田元さんだけ。本書全体でも数人しかいなかった。自分の読書が偏向しているということがよくわかるけれどもいまさら変えられない。第一章で印象に残ったのは江藤文夫さん。名前は知っていたが著作を読んだことがなかった。アマゾンで調べたら、単行本は全て絶版で、「江藤文夫の仕事全4巻」のうち第3巻が品切れ状態。本書で紹介しているのは「江藤文夫の仕事4」。日本のテレビというメディアは戦争を経験せずに「成長」をとげた。野放図に大きくなり、他のメディアを蹴散らし肥大化した。歴史的日付を欠いたまま肥大したメディアの厄介さ、恐ろしさ。フジテレビの入社式には親同伴必須だという。誰の子供かということのほうが本人よりも優先するらしい。

テレビの現場中継が表層を撫でるだけで、いかなる「現場」でもなく、採録される「街の声」が、採録の方法しだいでどのような声にもなることを、誰もがうすうす感じている。だが、繰り返し発信され、クローズアップで強調され、コメンテーターの「補足」がされるなかで、単なる報道が事実そのものにすり替わる。メディア産業からお茶の間へ一方向に送られてくる。(中略)つねに客観性を失わずに語るためには、したり顔した意見は抑制しなくてはならない。客観性をつらぬいた上で個人的メッセージを伝えるには、よく見て、よく聞いて、その上で判断する手つづきが必要だ。

本書で紹介されている本で何冊か読みたくなったものがあった。森於莵「耄碌寸前」は買おうかどうか迷っていた本。「耄碌寸前」という題名が何ともいえずユーモアがあってよい。同じ森於莵の「父親としての森鴎外」は入手困難な状態。「耄碌寸前」は今度購入して読もうと思う。

本は友だちである。いつ、どのようなきっかけから友情が結ばれたのか、実をいうと、よく憶えていないのだ。きっかけがあったはずなのに、なぜか思い出せない。気がつくと、かたわらにいた。何かのおりに、また会いたくなる。さりげなく知恵をかしてくれる。別れたあとも楽しくて、なにやら背中をドンと押されたような気がした。
本はすてきなメディアであって、ITナントカとちがい、わがもの顔に出しゃばらない。せわしなく指示したり、けたたましく叫んだりもしない。そっと抜き出して好みのところのページをくり、また閉じて、そのまま枕にしてもいい。顎をのせてもかまわない。本は寛大で、我慢づよいのだ。電子機器のように一年がたつかたたぬかで古物扱いされ、廃物になって文明を汚したりしない。それどころか、本はしばしば古びるほど値打ちが出てくる。