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「アウトサイダー・アート入門」 椹木野衣


アウトサイダー・アートとは、障害者・犯罪者・幻視者等の正規な美術教育を受けていない人たちの作品群と裏表紙にある。本書で紹介されている人達の中には、通常の現代アーティストとして著名な人も含まれている。昭和新山の記録で知られる三松正夫も含まれており、ちょっと意外な感じがした。本書は著者初の書き下ろしで、初の新書ということだ。図版が全てモノクロームというのはちょっと残念だった。

本書はアートに興味がないひとでも「近・現代畸人伝」として面白く読めると思う。第1章で紹介されている3人は、本書の中でも飛び抜けて奇妙な人びと。何かに取り憑かれたように発表する当てもなく作品(モノ)を作り続ける。他人に褒められるとか高く売れるとか一切関係なく、ただただ作りたいから作品を制作し続ける。端から見ると「何故一生をかけてあんなものを作ったのか」ということになるけれども、当人にとっては大きなお世話なんだろう。

昭和新山は小学生の頃登ったことがあった。火山ガス特有の匂いで、気持ちが悪くなったのを憶えている。資料室のようなところも行って、昭和新山が隆起する記録を見た。しかしながら、三松正夫の日本画については記憶がない。片岡球子の「赤富士」シリーズが昭和新山に触発されたとしたら興味深い。

正規な美術教育を受けていない人たちの「アウトサイダー・アート」がどのようなきっかけで生まれ出るのか。著者は次のように述べている。

こうしたアウトサイダー・アートが教育の所産でないのだとしたら、それらはいったいどこからやってくるのだろう。これまで見てきた表現者たちの生の様態から察するに、それは人間の苦しみ(病苦、孤独、離別、被災、困窮、追放、受刑、隔離)からなのではないか。素質や学習といった後ろ盾で支えられない、文字どおりなんにもないところから芸術が始まるためには、表層的な知識や訓練などではなく、心の奥底から、二度と後戻りできないような特別な想念を汲み上げる必要ながあるからだ。とうてい教育などから得られるものではない。せんじつめればアウトサイダー・アートとは、ひとの生から絶対になくすことができない負の宿命と、たったひとりで拮抗するために存在する。けれども考えてみれば、それこそが芸術のもっとも根源的な姿なのではあるまいか。

今度、怪しい家を見つけたら写真に撮っておこう。もしかしたら「アウトサイダー・アート」になるかもしれない。