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「老いの味わい」 黒井千次


本書は、読売新聞夕刊に連載中の「時のかくれん坊」を56回分まとめたもの。連載時期は2010年から2014年8月まで。著者の年齢でいうと78歳から82歳にかけての老いを巡る随想で、「老いのかたち」の続編になる。管理人は「時のかくれん坊」のファンでずっと読み続けている。

ちょっとした段差で躓いたり、昔のアイドルの名前がすぐに出てこなかったり、小さい文字の文庫本は避けて単行本を買ったり、何かしようとして別のことを考えたら最初にやろうとしたことを忘れたりと管理人にも「老い」が忍び寄ってきている。「老い」はあるとき突然来るというより、じわじわとふと気づくものらしい。

管理人はまだ電車やバスに乗っていて席を譲られたことがないが、そのときが来たらちょっとショックだろうと思う。以前、杖をついてよろよろしているひとが電車に乗ってきて前に立ったので席を譲ろうとしたら「わしはそんな年寄りではない」と怒られたことがあった。席を譲るのも難しい。

年を取るのは、人にとっては未知の経験。20~30代のひとが本書を読んでも、「老い」はまださきのことでピンとこないだろうと思う。昨今アンチエイジングの様々な施策やサプリメントで加齢に抗おうとするのが流行っている。「不老不死」は人間にとって所詮無理な話。「老い」とどう折り合うかというのを先人の知恵から学ぶのがよいのかもしれない。

年齢とは逆行を許されぬ流動的なものであり、人は常にその動きにのって生きていくのだから、時としてそこに違和の感覚や齟齬の感触が生ずるのは止むを得ない。だから、新しい年齢を与えられた人が、形もはっきりしない熱い物体でもいきなり手渡されたかのように、慌てたり、まごついたり、途方に暮れたりしたとしても、それは当然であるといえよう。つまり、自分の年齢と気分との間には常になにがしかの食い違いがあり、それを埋めることが生きるという仕事であるのだ、ともいえるかもしれない。
それが年齢という数字による客観的表現と、当人の気分という曖昧な主観的表現との基本的な関係であるものと思われる。そして年齢との折合いをつけるとは、この両者間の距離をなるべく近づけようとする努力のことなのである。