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「負けない力」 橋本治


本書は「知性にかんする」本で、「負けない力」とは知性のこと。出版社の編集者に知性について書いてほしいという言われて書いたのが本書。本書を読んでも手っ取り早く知性が身につくわけではないし、読んでも何の役に立つかわからない本と最初に書かれている。本書は「知性にかんする本」だが、途中にボディコンやらキャリアウーマンやらアイドルの話が出てきたり、そうかと思うと夏目漱石の「坊ちゃん」や「我が輩は猫である」が出てきたりと例によって話題が行きつ戻りつしながら進んでいく。

現代の日本人は「物事は損得で考えて、長いものにはまかれてしまえ」と考える「揺るぎない自分」を持っているため、日本人は簡単に「自分の考え方」を変えて、どう考えれば損をしないかを教えてくれる「ノウハウ化した考え方」を求める。日本人にとって正解は「自分の外」にあり、日本人の考えるは自分で考えて答えをだすのではく、外部にある正解を探すことになっている。日本の社会が「損得で自分のあり方を考えろそうしないと敗者になる」と言っており、「正解は自分の外にあるから探せ」となっている。

「一億総中流」が崩れて「格差社会」がやって来て、それぞれ違う「みんな」が形成される。セレブだと思う人達だけで「みんな」を構成したり、セレブではなく普通だと思う人達だけで「みんな」を構成する。希薄な人間関係故に、たった一つの価値観に従わないと負けで、「みんな」という共同幻想から脱落したくないという恐怖感が「みんな」を強固にしていく。

人は既に孤立していて、その孤独に直面しないために「自分の所属するみんな」という幻想を設定して、「みんなはこうしている(らしい)」という幻想のモノサシを使い、自分のあり方を「みんな」に合わせ、それで安心しているのでしょう。
「みんな」というのは「人間の集まり」であるはずですが、それが一人一人の顔が見えない抽象的な概念のようなものになり、「そこに属している」と思う人達のあり方を守り、同時に、そこから出て行くことを妨げる「壁」のようなものになっているのです。
「みんな」という壁の中にいる人達は、そこにいるはずの一人一人の人間の顔を見ず、鏡のように機能する壁に映る「自分のあり方」だけをみているのです。

じゃあ、このままこの社会を完成して変えられないものとして考えていけばよいのか。そこで著者は「日本も世界ももう完成しているから動かせないという認識は正しいと思うのか」と問う。動かせないと諦める前に「なにかへんなところはないか」と考え、「自分が立ち向かえる問題」を探すべきだと著者は述べている。そのとき、必要となるのが「負けない力=知性」である。

「負けない力」というものは、それほどたいした力ではありません。それは「そう簡単に勝てたりはしない程度の力」で、もしかしたら「なんの役にも立たない力」かもしれません。でも、「負けない力」は、負けないので、しぶといのです。しぶとくてしつこくて、「勝ってやろう」とは思わなくても、ずーっと負けないのです。
あなたの中に知性があるということは、問題は簡単に解決出来ないし、「負けた」と思うことはいくらでもあるだろうけれど、でも「自分」が信じられるから負けないということです。
「自分」を捨てたら知性はありません。知性とは「自分の尊厳を知ることによって生まれる力」で、だからこそそう簡単にはなくならず、だからこそ「短期決戦」にはあまり強くないのです。
「それだけだよ、だからどうした」と、知性ならきっと言うでしょう。「自分に知性があるのか、ないのか」を私はよくわかりませんが、そんなことだけは分かる気がします。