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「しんがりの思想」 鷲田清一


本書を読んでいて、すでに読んだことがあるような感じがして、ブログを確認してみたらまだ読んでいなかった。あとがきを読むと「この数年間に新聞や雑誌に書いた文章とところどころ重なっているところがある」と書いてあった。やはり時評で重複しているところがあったのかと納得。「『自由』のすきま」と「パラレルな知性」を読み直してみたら、確かに内容が重複している箇所が多かった。本書は、著者が東日本大震災以後に書いた時評のまとめのような感じ。

東日本大震災以後の右肩下がりの縮小社会におけるリーダーは、高度経済成長期におけるリーダー像とは異なり、リーダーシップよりもフォロワーシップが重要になると著者は述べている。リーダーになろうとするよりも、まず賢いフォロワーになれるよう心がける。登山でいうと一番後ろ「しんがり」の務めがリーダーにとって最も必要になる。そのことを梅棹忠夫氏は最期の発言として「請われれば一差し舞える人物になれ」と語っていた。

あるいは、登山のパーティーで最後尾を務めるひと。経験と判断力と体力にもっとも秀でたひとがその任に就くという。一番手が「しんがり」を務める。二番手は先頭に立つ。そしてもっとも経験と体力に劣る者が先頭の真後ろについ、先頭はそのひとの息づかいや気配を背中でうかがいながら歩行のペースを決めるという。要は「しんがり」だけが隊列の全体を見ることができる。パーティの全員の後ろ姿を見ることができる。そして隊員がよろけたり脚を踏み外したりしたとき、間髪おかず救助にあたる。
じっさい右肩下がりの時代、「廃」炉とかダウンサイジングなどが課題として立ってくるところでは、先頭で道を切り開いてゆくひとよりも、このように最後尾でみなの安否を確認しつつ進む登山隊の「しんがり」のような存在、仲間の安全を確認してから最後に引き上げる「しんがり」の判断が、もっとも重要になってくる。だれかに、あるいは特定の業界に、犠牲が集中していないか、リーダーは張り切りすぎでみなついてゆくのに四苦八苦しているのではないか、そろそろどこかから悲鳴が上がらないか、このままでははたしてもつか・・・といった全体のケア、各所への気遣いと、そこでの周到な判断こそ、縮小してゆく社会において、リーダーが備えていなければならないマインドなのである。