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「アウトサイダー・アート」 デイヴィド・マクラガン


机を整理していたら本書を見つけ、まだ読んでいないことを思いだした。「アート」関連の本をまとめて購入して机の上に置いといたら読むのを忘れていた。著者デイヴィド・マクラガンは、アーティストでアートセラピストでもある。アートセラピストとして実際に接したアウトサイダー・アーティストのことがでてくる。本書は図版が最初のほうにまとめてあり、本文中には図版がない構成。

「アウトサイダー・アート」とは何か。序で著者次のように述べている。

「アウトサイダー・アート」という言葉は、非常に大まかに言うと、何らかの意味で社会の周縁にいる人々の手になる特異な作品を指す。さまざまな理由によって、彼らは所属する文化に-社会的・心理的・芸術的に-適応することができない。その作品を特異なものとしているのは、制作者が何の訓練も受けておらず、また「正常」から程遠い位置にあるという事実である。そのため彼らは「芸術家」どころか、「アウトサイダー」であるという自覚すらない場合もある。従って、その作品に魅力を見出すのはわれわれの方である。まず第一に、それらはわれわれの親しんでいる美術界に先例が見出せない。第二に、彼らには芸術創造の一般的な動機(フロイトによれば「名声と金と女」)がない。

現在のアウトサイダー・アートの背景には、ジャン・デュビュッフェの「アール・ブリュット(生の芸術)」がある。デュビュッフェは1947年パリのルネ・ドゥルーアン画廊の地下室にアール・ブリュット館を創った。精神病の画家、霊媒師、畸人などの知られざる芸術家の作品を展示した。その後、このコレクションは増え続け、拠点もアメリカに渡ったが、1962年に再びヨーロッパに拠点が戻った。1976年には「アール・ブリュット」コレクションはローザンヌのシャトー・ド・ボーリューに収められることになる。アール・ブリュットが有名になるつれ、他の美術蒐集家も似たような作品を集めるようになった。1972年ロジャー・カーディナルの「アウトサイダー・アート」が刊行され、様々な論争が生まれた。

「アウトサイダー・アート」が有名になると、メインストリームにいる芸術家でも類似な作品を制作するものが出てきて、商業的市場が形成された。制作者が精神病を患っているのか、あるいは世を捨てた畸人なのかというプロフィールの部分は作品の評価分類から外れていく。20世紀中頃以降精神病院の環境が整備され、患者が病院の鉄格子の部屋に隔離されることも少なくなり、療法としてアートの制作も行なわれるようなった。

「アウトサイダー・アート」の領域は拡大し続けて、他の流行のアートと変わりがなくなっていく。管理人は作品を見る限り、「アウトサイダー・アート」と「現代アート」との区別がつかない。「アウトサイダー・アート」制作者の伝記を読むと「知られざる芸術家」だったというのはわけるけれども、「知られざる芸術家」が有名になると通常の芸術家と違いは曖昧となる。「アウトサイダー・アートという矛盾した、天の邪鬼な性質からして、それは初めから定義不能」なのかもしれない。「アウトサイダー・アート」は量子暗号鍵のようようにそれが認められると元の状態(生の芸術)がわからなくなるものかもしれない。

アウトサイダー・アートは今、重大な局面を迎えている。それには外的な要因もあれば、内的な要因もある。本書の狙いは、その外的・可視的な徴候-例えば商業的圧力、縄張り争い、誇張等-を解明し、それを形成し推進する相矛盾する諸力を示すことにあった。だが本当に危機に瀕しているのは、真正な芸術的創造性とは何かという概念それ自体なのである。それはこれの現象の基層にあるものでありながら、必ずしも常に意識されているわけでもない。そしてこの概念には、さらに検討を要する他の概念が数多く付きまとっている。例えば狂気、独創性、オートマティスム、内密性、そして「真正さ」それ自体。これらを明るみに出し、関連する多くの問題に光を当てたのは、他ならぬアウトサイダー・アートである。アウトサイダー・アートが明らかにした論点は、より広い美術界に影響を及ぼし、そしてアウトサイダー・アートと美術界とを繋ぐ地下水脈のゆえに、その前提条件そのものに対する問いを突きつけるのである。