KAZUHIKO KIKUCHI BLOG

「紅葉する老年」 武藤洋二


本書は書き下ろしで、「人生の紅葉について」と「トルストイ八十二歳」の二部構成。「トルストイ八十二歳」のほうが長めになっている。人生の晩年、ひとはどのように生きていくべきか。本書で取り上げている人物はゴヤ、レンブラント、アヴァクーム、ムスフェルト先生、ファーブル、多田富雄、三浦敬三・雄一郎父子、木喰上人など。ムスフェルト先生とは、著者が勤めていた大学の非常勤講師のロシア人女性。

アヴァクームは古儀式派の長司祭で、反ニーコン的説教で逮捕され1653年9月シベリヤ流刑のため出立。3年後、徒刑地で寒冷獄に投げ込まれる。1666年には僧籍を剥奪され、教会から破門される。1670年、古儀式派教徒は死刑台の前で判決を受け、アヴァクームは死刑を免じて、黒パンと水だけ与えて、土牢に閉じ込められた。このような刑を受けるようになったのは、1653年総主教ニーコンが、二本の指で十字を切るロシア古来の方法を改め、三本の指で切る決定にたいして、「二本の指で十字を切らない者は呪われる」と古儀式を守る者はこれに反対したためであった。アヴァクームは指一本の違いに生死をかけた。アヴァクームはアヴァクームでありつづけたため人生最後の十五年間を土牢で過ごすことになったと著者は述べている。同時代の皇帝たちは、囚人とは比べものにならないほどの豊かな食事をしながらも短命だった。1682年総主教ヨアーキムの命令により、アヴァクームは生きたまま焼き殺された。

アヴァクームの全身と全心にとりついている神への絶対的服従、キリストに最も近いと考えていた古ロシアのキリスト教とその儀礼としての二本指による十字、いいかえれば、これなしにはアヴァクームがアヴァクームでなくなってしまうもの、がアヴァクームの中で黒パンと合体し、黒パンは獄中でアヴァクームの命の個性の受け皿になった。
命と生き方とパンが三位一体となってアヴァクームに仕事をさせたのである。ここから切り離された黒パンはありきたりの食事の一部にすぎず、しばしば無力である。
人生の生き方は多種多様であり、パンもまたそれに応じて変身する。
無為に苦しむ美食者の疲れた胃袋の中では三位一体の活劇はおこらず、黒パンの一片は、その他大勢の一つにすぎないので、ライ麦全粒粉の栄養学的活力すら活かされず胃の中ですでに残飯あつかいをうける。
力強い文を書くには沢山の血が必要だから、アヴァクームの空洞の胃袋の中では、黒パンはすべて赤い血に変身する。
アヴァクームが黒パンに乗り移り、彼は自分の黒パンをペンのように使用したのである。
パンは、人間に対して、自らの運命をもつ。

管理人は、トルストイの著作は「戦争と平和」と「アンナ・カレーニナ」しか読んだことがない。トルストイ関連の伝記や評論もほとんど読んでいなかった。管理人はドストエフスキーのほうが好きで、一時期ドストエフスキー関連の評論が出ると全て購入して読んでいた。と言っても全て日本語か翻訳の本だったけれども。大地主トルストイが全てを捨て去り、家出に及んでも世間が見逃さない。トルストイは家出の途中で病に倒れ、駅長の家を借りて療養する。多くの新聞社が駆けつけトルストイの容体を報じる。教会関係者もやって来て何とかトルストイが死ぬ前に「悔い改めた」と言わそうと躍起になる。医者も何とか命を長らえようと様々な治療を行うが、トルストイは拒否し続ける。何かドストエフスキーの小説の大団円のような様相になる。トルストイの最晩年の様子が克明にわかるのは、トルストイに付き添った医師マコヴィツキイが詳細な記録を残してくれたおかげだった。最後まで国家や教会などの権力を拒否し続けたトルストイから何を学ぶべきか。

二一世紀日本人にとって役に立つのは、謎ときトルストイではなく、著者の仕事は八二歳の家出の劇を書くことである。政治も宗教も思想も文学も人間関係も家族の事情も総出演する。史上まれに見る劇そのものが二一世紀人の生活に、生き方に刺激的な効用をもたらす。
「主人の国」の住人であるトルストイは「奴隷の国」との間の広く深い溝を飛びこえる練習を三0年間つづけたあげく、家を出た。
トルストイは一つの輪である。それは小さな玉のつらなりである。それぞれの玉は、反権力、非暴力、土地私有制反対、不戦反戦等々の立場をになっている。それらはたがいに補いあうと同時に衝突し両立しない場合がある。例えば、某国で革命が成功し専制君主が倒されるや、「でかした」と心の中で叫ぶと、すぐに非暴力、悪への抵抗の否定、全人類的愛などの玉が赤く光る。統一体としてのトルストイは、だから、革命ではなく、物理的な力でなく、説得と愛で、などという言葉で政論をしめくくる。無抵抗、人類愛、寛容、赦しが反逆者トルストイをなだめしずめる。宗教用語としての長老という言葉をトルストイに、とくに家出後に、たてまつる者が少なくないが、宗教的安心、仏教の悟りに近い物を最終期のトルストイに見ようとするのは、死ぬまで反逆者でありつづけた者を、安らかな死に場所を求めて家を出たありきたりの高齢者にしてしまう。
トルストイの輪は死ぬまで振動し、うわ言の中でも輪が作動している。