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「アート・スピリット」 ロバート・ヘンライ


本書は荻原魚雷さんの本で紹介されていて面白そうだったので購入した。本書は1923年に出版されて、今でも新刊書として売られて読みつがれている。著者のロバート・ヘンライは画家として当時は人気があったそうだが、管理人は知らない画家。解説を読むと今では画家としてはほとんど忘れ去られた存在らしい。画家を目指す若者向けに書かれており、励ましのメッセージに溢れている。絵画の技術的なところは、管理人にはよくわからない。管理人にとって参考というか気になったところを引用する。

拒絶を恐れるな。すぐれたものをもつ人間はみな拒絶を通過してきた。作品がすぐに「歓迎」されなくても気にしないことだ。作品がすぐれているほど、あるいは個性的なほど、世間には受け入れられないものである。ただし、このことは覚えておいてほしい。絵を描く目的は、展覧会に出すことだけではない。作品が展覧会場に並ぶのは歓迎すべきことではあるが、絵を描くのは自分自身のためであって審査員のためではない。

画家はたんに技術の面だけではなく、見る者または鑑賞者として、つねに成長しなければいけない。技術よりも、動機を重んじなければいけない。でなければ、成長を見込めない。

内なる歌はとても繊細だから、冷徹で物質的な知性を前にすると引っ込んでしまう。歌は貴族的なので、雑駄な場所にはなじまない。こうして、われわれは後退し、ふだんの自分に戻ってしまう。それでも、人はそれらの歌の記憶のなかで生きつづける。知性の力が緩んだふとした瞬間に歌を取り戻すことができる。それらは人間の経験の最高峰であり、心の底からの感動を表現したいという欲求のあらわれである。内面からあふれる歌。それこそが、すべての芸術家を突き動かす原動力である。

すべての芸術表現は、人が漠然と感じながらいまだ所有できないものを求めてさまよう魂の成長の道標である。

われわれは、物理的なものとしての人間や物にはほとんど興味をもたない。それらに対する価値の評価は、目の前にある存在が人の心にどれだけ刺激をかきたてるかで決まる。そして、人に快感をもたらす対象をじっくり眺めるとき、われわれの目はそこに感情をかきたてるきわだった個性を選別し、認識する。

できるかぎり、自分が本当に何を好むのかを見つけるべきである。自分にとって何がいちばん大事かを見定めよう。それから、自分の歌をうたおう。きみにはうたがうべき何かがあるはずだ。きみの心は歌であふれるだろう。語りたいことが身のうちにあふれているのに、言葉の使い方がわからない。そうなって初めて、その言葉を習得すればいいのだ。

真の芸術作品すべての背後にある目的は、存在という状態そのものに肉薄することである。それは高度な活動状態であり、日常の暫定的な存在を越えている。そのような瞬間には、活動は必須である。その活動が、筆やペンや鑿を用いるものであれ、また言葉によるものであれ、結果としてできるものは、状態そのものの副産物、痕跡、足跡でしかない。

目的は芸術を作りだすことではない。人生を生きることが目的なのだ。人生を十分に生きた人びとがあとに遺したものがあるとすれば、それが本物の芸術である。作品は一つの結果だ。それは自分の人生を生きた人びとの足跡である。その人が生きていくうえで経験した苦闘と成功が読みとれるという点で、私たちの興味を引く。大切な問いかけとは、これだ-「本当に価値あるものは何か?」。

仕事をつづけること。自分が見るものすべてをできるだけシンプルに切り詰める。つまり、自分にとって最も大切なものだけを身のまわりにおくようにする。ものの見方がシンプルになればなるほど、きみの表現もシンプルになるはずだ。人は多くを見すぎる。しかも、ばらばらに。

いま現在、自分自身でいなさい。明日まで待つことはない。いまこのときに自分の主人でいられる人間が、明日も自分自身の主人でいられるのだ。人は全体の一部として存在するのではない。われわれはそれが真実だと知っている。芸術家は、芸術家であろうと決意したとき、そのスタート地点からすでに一人の巨匠である。巨匠とは、自分がもっているものを活用する人びとである。