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「越境画廊」 徐京植


本書のもとになったのは、韓国の季刊雑誌「黄海文化」に連載されたエッセイをまとめて韓国で『私の朝鮮美術巡礼』として刊行されたもの。日本版の書名は、時間的・空間的・文化的な境界線によって概念づけられた民族による作品を陳列するものではなく、境界線から逸脱し境界そのものを超えようとする作品のギャラリーという意味を込めて『越境画廊』とした。本書で紹介されている6人の美術家を管理人はひとりも知らなかった。現存する4人の美術家の作品はひょっとしたらみたことがあるのまかもしれないが記憶になかった。

本書で紹介されている6人の美術家のなかで、いちばん興味深く読んだのはミヒ=ナタリー・ルモワンヌの章だった。ミヒは釜山で生まれた。釜山の街頭で捨てられていたところを警官が見つけ孤児院に引き取られた。その2年後国際養子としてベルギー人の養父母に引き取られた。ミヒは養父母の家で安らぐということがなかった。祖母だけはミヒを庇い絵筆やスケッチブックを与えた。書類上16歳(実際は13歳)のとき家を飛び出し働きながら美術を学ぶ。実親を探すため韓国に戻る。実母が見つかり、父親が日本人であることがわかる。ミヒは朝鮮語や英語ができないため、韓国に滞在しているときも苦労したらしい。その後、ミヒはカナダへ渡る。しかしながら、カナダでは永住権を得られず国外退去命令が出されベルギーに戻る。著者があなたは「コリアン美術」というカテゴリーにはいりますかという質問に対して、ミヒは「いいえ。・・・でも”コリアン・ディアスポラ”という意味でなら”はい”です」と答えている。

ミヒは「ウリ(私たち)」に含まれるだろうか?
ミヒの国籍はベルギーである。血統の半分は「日本人」らしい。10年以上韓国で暮らしたがウリマル(朝鮮語)がうまくできない。キムチが食べられない。そういうミヒは、それでも「ウリ」の一員といえるか?ミヒのアートは「ウリ美術」に含まれるか?
この問いに私自身が向かい合い、読者にも投げかけてみたかった。
私の答えははっきりしている。
そうであるこそ、ミヒは「ウリ」であり、そのアートは「ウリ美術」である。
「ウリ」とは、上記した「同じDNA」という幻想を共有する者たちのことのことだろうか?「ウリ美術」とは、そういう者たちによるアートを指すのか?
ミヒがミヒであるのは、彼女がある日、釜山の街頭に捨てられ、韓国政府が推進した養子制度によってベルギーに移送されたからだ。そこに「ウリ」の痛々しく恥ずかしい歴史が拭いようもなく投影している。名前、言語、文化、習慣・・・それら「韓国的」とされる指標のほとんどすべてをミヒが喪失したのは、ミヒが「ウリ」だからなのだ。ある民族である、ということは、そういう文脈をともにするということではないか。
ミヒを「ウリ」と認め、そのアートを「ウリ美術」に含めることは、「ウリ」の衰退ではなく、その概念そのものの変革と拡張を意味している。それが、私たちの生きる現実にも合致しているのである。
ディアスポラは決して哀れみや同情の対象ではない。むしろ、多くの人々が安住している「国民・人種・文化の同一性」という観念がいかに虚偽に満ち危険なものであるを教えてくれる存在なのだ。