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「耕せど耕せど」 伊藤礼


本書を読んでいて、著者が伊藤整のご子息だったことに気がついた。全く迂闊なことで、著作を見ればわかりそうなもの。著者の著作を見て、「へえ伊藤整のことを書いているんだ」とか「『チャタレイ夫人の恋人』を訳しているんだ」とか思っただけだった。このように人間は年老いてボケていくんだろう。

本書は月刊「望星」に連載した『閑人閑話』をまとめたもの。本書は自転車話ではなく家庭菜園に関する話。家庭菜園に関する話といっても、例によって脱線することが多い。耕耘機の話に笑ってしまった。管理人が住んでいる札幌では小さな除雪機はよく見るが、家庭菜園に耕耘機を使っているところを見たことがない。北海道の田畑は広いので、農耕機具は大きなものばかりだ。文中に農場とありよほど広いのかと勘違いしてしまったけれども、東京の久我山ではそんなことはないなと思った。都会で耕耘機を使うのは近所迷惑な話で、近隣住民から苦情が来ないのかと余計なことを考えてしまった。本書を読み進めているうちに、耕耘機は頻繁に使っているのでないのがわかり些か拍子抜け。文中に溢れるユーモアはさすが作家の息子と納得した。

東京の久我山というところに居を定めていて、ここに猫額大の農場を開いている。ひらたく言うと家庭菜園である。
家庭菜園というものはいま全国津々浦々、どこに行っても目につく。日本の歴史のなかでもっとも家庭菜園の栄えている時代であると言える。とは言ってもあまたある菜園がみなうまくいっているわけではない。すごくうまくいっている菜園もあるが、いっぽう、苦労のあとは分かるのであるが、慰めてやりたいぐらい気の毒なものもある。
そこでわたくしの菜園はどうかというと、まあちょうどそのどっちでもないぐらいのできであるのである。本書の題名が『耕せど耕せど』となっていることにそれは象徴されている。この題名に下の句をつけるとすると、「なかなかである」ということになるであろう。