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「そらち炭鉱遺産散歩」 北海道新聞空知「炭鉱」取材班

本書は夕張市が財政破綻する前の2003年に出版されている。そのため、夕張に関する記述が隔世の感がある。本書では「石炭の歴史村」にまだ新しい施設が建設される予定になっており、夕張の未来に希望があるような感じを受ける。そういう意味では、本書は貴重な記録になっている。炭鉱遺産を見学する場合、ウェブなどで最新情報を確認したほうがよいと思う。

本書で紹介されている炭鉱遺産の中には、すでに取り壊されているものが多い。管理人が旧炭鉱地帯を訪れるようになったのは2年前からで、最初に訪れたのが北炭真谷地炭鉱跡だった。すでにホッパーも事務所も取り壊されおり、炭鉱跡には菜の花が咲いていた。夕張にあった選炭所や立坑などの大きな建造物は殆ど解体されてしまった。それにたいして、三笠市や赤平市には大きな建造物がまだ残っており見学ができる。

どの地域でも炭鉱住宅の取り壊しが進んでいる。管理人が訪れたところでも次に行くと更地になっていることも多々ある。人が住まなくなると家は傷みやすく、雪下ろしをしないと雪で倒壊する場合がある。自治体の空き家対策が進むと、炭鉱住宅以外の古い民家なども取り壊されてしまうのだろう。

火力発電所の燃料、蒸気機関車の動力源、化学製品の原料など、多くの用途があった石炭。日本の近代化、戦後の経済復興を、その根底から支えた。
九州とともに石炭の多くを産出し続けた北海道の炭鉱は最大で百五十八鉱あった。空知は北海道内で約七割を占める最大の石炭生産地帯。生産量では北海道が一九七〇年代以降、全国の六割を占めた。
九州よりも開発着手が遅かった北海道は主に昭和年代、特に第二次世界大戦後に比重が増し、国内最大の石炭生産地に成長していく。それは日本経済を支えただけでなく、北海道の産業創出、技術発展、社会形成などの礎を築いていった。
石炭産業が盛んなころは、その炭鉱社会全体が輝いていた。だが一九五〇年代から急速に光を失っていく。中東油田を開発した米国の国際石油資本による日本進出が契機となった「エネルギー革命」。「石炭から石油へ」の政府のエネルギー転換政策で、石炭産業は斜陽化していった。
国内では現在、地上で採炭する「露天掘り」の炭鉱が十一鉱残るものの、地下で採炭する「坑内掘り」の炭鉱は釧路炭鉱一つを除き、すべて閉山した。
炭鉱は忌まわしい強制連行・強制労働や、痛ましい炭鉱事故などの負の遺産も大きい。相次ぐ閉山による人口流出、地域崩壊の急速な進行は、今もさまざまな形で尾を引いている。その生々しさ故に、私たちには「炭鉱を書く」ことはかなり勇気の要る仕事と思えた時期があった。
ただ、「空知と北海道の将来を考える時に、炭鉱の歴史を学ぶことは不可欠だ」との思いは消えることはなかった。まず取材しよう-。そんな発想から、私たち取材班は空知に残る炭鉱遺産をあらためて歩いた。巨大産業の熱気と迫力を感じながら、そこにかかわった人たちに会い、話を聞いた。