KAZUHIKO KIKUCHI BLOG

「暴露」 グレン・グリーンウォルド


“citizenfour”を見て、映画だけでは理解出来ない部分を補おうと思い本書を購入。今回はアマゾンで買わず、書店で買った。原題は”NO PLACE TO HIDE”。訳者のまえがきやあとがきはなく、訳者の本書についての説明はない。

本書を読んで、スノーデンの事件そのものよりもそれに対する新聞・TVなどのマスメディアやジャーナリストの対応のほうが管理人にとって驚きだった。日本のマスコミに比較して、米国や英国のほうがまだましなのかと思っていたが、本書を読んでそんなことはないと感じた。ニューヨーク・ポストやワシントン・ポストが政府にお伺いをして記事を掲載して、TVのニュース番組も政府に忖度して報道する。著者が記事を書いていた英国のガーディアンも政府の要求を受け入れ、PCのハードディスクを破壊する。ジャーナリストはサラリーマン化し、高給取りになることを目指す。「体制の不正を監視する」ようなメディアはメジャーにはなれない。

政治メディアは、国家権力の濫用を監視・抑制することを本来の役割とする重要な機関のひとつだ。行政、立法、司法、報道の”四権”という考え方のもと、報道機関は政府の透明性を確保し、職権濫用を抑制する機能を持つべきである-全国民を対象した秘密監視職権濫用の最たるものだ。そうしたことへのチェック機能は、ジャーナリストが政治権力を持つ者に対して「体制の不正を監視する」強い姿勢を貫いた場合にのみ効力を発揮する。にもかかわらず、アメリカのメディアはその大半がかかる役割を放棄してきた。ただの操り人形となって政府のメッセージを垂れ流し、汚れ仕事の片棒を担いできた。

「情報を共有することに人々の抵抗感はどんどん薄くなっている。多種多様な情報の共有はもちろん、より多くの人とオープンに共有することにもね」と言ったfacebook CEOのザッカーバーグは、自宅に隣接する四軒の家を三千万ドルで購入し、自らのプライバシーを確保した。CNETは「ユーザーの私生活は<フェイスブック>のデータの一部となるが、CEOの私生活には口出しするな、というわけだ」と揶揄した。インターネット通信関連では、アメリカ企業が基幹となる部分を独占している。シスコ、デル、アップル、マイクロソフト、クアルコム、グーグル、フェイスブック、スカイプ等々がアメリカ政府に協力しているといわれる。基幹ルーター、エッジスイッチ、サーバーへ自由にアクセスし、SNSのデータベースからコンテンツを取得できる機関にどのように個人はプライバシーを守ることができるのか。個人で出来ることは暗号化ソフトをインストールし複数台のPCを使い回すことくらいか。

テロ対策という名目で行われた通信の大量収集プログラムは、実際のテロ行為の阻止にたいしては大きな成果が上がっていない。大量のデータの海に溺れ、データの分析に時間がかかり本物のテロリストの計画を目立たなくしていると指摘されている。それでもNSA等の政府機関は大量監視を続けている。権力者の忠実な信奉者にとって国家の監視を恐れる理由はない。

今このとき、国家が秘密の大量監視システムを運用することでもたらせる脅威は、歴史上どの時代よりはるかに深刻なものになっている。政府が監視によって国民の行動をますます把握できるようになっていく一方、国民は秘密の壁に遮られ、政府の行動をますます把握できなくなっている。
こうした状況が、健全な社会の特徴となる力学をどれだけ極端に逆転させてしまっているのか、あるいは力のバランスがどれだけ大きく国家のほうに傾いてしまっているか、それについてはどんなにことばを尽くしても足りないぐらいだ。体制側に絶対の権力を与える目的で設計されたシュレミー・ベンサムの”パノプティコン”は、まさにこの”力の逆転”を礎にしている。ベンサムはこう書いている。「パノプティコンの本質は、看守を中心的存在に据えることにある」。それが「囚人からは見られることなく、看守が一方的に監視できるという、きわめて有用な発明」と組み合わさり、相乗効果を生み出すのだ。
健全な民主主義というものはこれとは正反対の概念であり、民主主義には統治者の説明責任と統治される者の同意が不可欠だ。自分の国で行われていることを国民が自ら知ること以外に民主主義国家を実現する道は
ない。国民が政府の役人の行動の一切-ごくかぎられた例外はあっても-を知ることは民主国家の前提だ。それこそ役人が公僕と呼ばれ、公の部門で公の業務に従事し、公の機関のために働く所以でもある。逆に言えば、政府は法を遵守している国民の行動については-ごくかぎられた例外はあっても-何ひとつ把握していないことも、また民主国家の前提だということだ。それこそ、私人と呼ばれ、私的な立場で行動する所以でもある。透明性は公務を遂行する者、公権力を行使する者のためにこそあり、プライヴァシーはそれ以外のすべての者のためにこそある。