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「魂でもいいから、そばにいて」 奥野修司


本書に関するtwitterの記事を読んで、面白そうだったので購入。管理人は「幽霊」とか「本当にあった恐い話」関連の本をあまり読まないし、「呪怨」のような恐怖映画も全く見ないのは単純に恐いから。本書は、恐怖体験談というよりも東日本大震災に罹災した家族の物語で、読んでいても恐くなかった。親近者の霊の話ばかりを取り扱っているのは、著者の意図したところだろう。全く知らないひとの霊に遭遇するのは恐怖しかないだろうと思う。

以前、カール・ポパーの本を読んでいて、科学といえるのは反証可能性を持つ理論で、それ以外は似非科学であるとあった。それゆえ、マルクスやフロイトの理論は非科学的であると攻撃していた。現在、幽霊や霊についての現象は科学の対象になっていない。霊現象は再現性がないし、実験反証しようがない。といっても科学の対象とならない不思議な現象はあると思う。

近親者に関する不思議な現象は、その理不尽な死に方に対する生存者の思いの現れだと思う。死者がそばにいると感じることで、生きているものの心の傷が癒やされる。そのひとの再生の物語となっているから、不思議な現象が恐いという感じではなく、読む者が良かったねと感じる物語になっている。震災で受けた精神の傷が、非科学的な現象で治癒されることもあり得るのだろう。

被災地を巡りながら、ところどころで目を閉じて百年後のことを想像してみた。僕はもちろん、目の前を歩く人も、トラックを運転している人も、津波で家族を喪った人も、誰一人として存在していない。時間とともに記憶はおぼろげになり、言葉は風化し、そしてその人の死とともに体験も消えていく。死者・行方不明者の数字は残っても、亡くなった人にまつわる物語はなかったことになる。そうなる前に、せめて彼らの言霊をきちんと残しておきたい。べつに大上段に構えたわけではくて、なぜかそうしないと申し訳ない気持ちになったのだ。誰に申し訳ないのか、自分でもよくわからないのだけど。
人は物語を生きる動物である。そのことはこの旅を終えてあらためて確信した。
最愛の人を喪ったとき、遺された人の悲しみを癒やすのは、その人にとって「納得できる物語」である。納得できる物語が創れたときに、遺された人ははじめて生きる力を得る。不思議な物語はそのきっかけにすぎない。亡くなったあの人と再会することで、断ち切られた物語は、生者によってあらたな物語として紡ぎ直される。その物語は、他者に語ることで初めて完璧なものになるだろう。