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「性食考」 赤坂憲雄


赤坂憲雄さんの本を読むのは本書が初めて。題名の「性食」という言葉はどのような意味なんだろうかと思い本書を購入した。本書を読んで「性食」は著者の造語であることがわかった。食べることと愛することまがわうことの関係性を示す言葉(だと思う)。「性食」とはちょっと意表を突く言葉だった。

管理人は民俗学とか文化人類学関係の本はあまり読まない。文化人類学は取り扱う範囲が広すぎて、ついていけなくなる本が多々あった。本書でも「古事記」「日本書紀」からグリム童話、世界各地の神話や儀式、SF小説まで取り上げおりただただ感心するばかり。管理人はあまりはやく本を読めないので、本をはやく読めるひとが羨ましいけれど、大量の本の処分に困るということがないのは幸いなことかもしれない。

本書で管理人がいちばん興味を引かれたのがレヴィ=ストロースが示した肉食の未来予想図だった。これから地球上の人口が増え続け、家畜の飼料に割り当てる穀物が不足した場合、人間が飼育する動物が人間にとっての「恐るべき競合者」となる。肉食を放棄し人類が全て菜食主義者になれば、当分の間食料不足の問題は先送りになる。しかしながら、人類の肉食嗜好が消滅することはないだろうから、未来の肉は狩猟によってしか手に入らないだろうとレヴィ=ストロースは指摘している。

いくらか茫然としながらも、わたしはレヴィ=ストロースが提示した遠くはない未来の情景にたいして、不思議な共感を覚えている。まるで、宮崎駿の絵物語『シュナの旅』に繊細に描かれていたような、あるいは、映画の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』に荒々しくくり広げられていたような、カオスを宿した狂気と動物じみた暴力が炸裂する世界が、どこか巨大都市のかなたの辺境の地に生まれる可能性は高いのかもしれない。そこにはある種の避けがたさが感じられる。それはきっと、たかがSF的な妄想とは斥けがたいリアリズムに根ざしている。神話的な想像力はときに、未来をしなやかに大胆に先取りし、鮮やかな、未来への伝言のメディアとなるだろう。
ともあれ、教訓はたしかに受け取った。やがて<内なる野生>が解き放たれるときがやって来る。ここではただ、食べる/交わる/殺す、という複雑に連関するテーマのかたわらに寄り添いながら、動物の肉を喰らうことの根源的な意味を問いかけてみたい。レヴィ=ストロースが描いてみせた黙示録的な未来へのかすかな道行きが、いつしか見えてくるかもしれない。肉食という「数千年来の習慣」との訣別のときは、はたして訪れるのか。まずは、その来し方に眼を凝らさねばならない。