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「柿喰ふ子規の俳句作法」 坪内稔典

柿喰ふ子規の俳句作法
柿の季節になってなぜかネンテンさんのエッセイが読みたくなった。管理人は俳句を作るわけでもなく、句集を読むこともないけれど俳人に関する評論は読むことが多い。本書は子規をめぐる文章をまとめたもの。初版は2005年ながら、まだ品切れになっていなかった。最近の新刊はすぐに絶版となることが多いので、好きな著者の本は出版されるとすぐ購入することにしている。すぐ読むかどうかはそのときの気分次第。

正岡子規は漱石と同じ慶応3年10月生まれで、明治の年号がそのまま年齢となる。子規は明治35年9月亡くなったので、35歳になる直前だった。日清戦争のとき、従軍記者として遼東半島に渡り帰りの船で喀血し、神戸の病院に入院する。このとき子規は自分が生きられるのはあと10年と考えたそうだ。様々な野心を持っていた子規は最初小説を書くが上手くいかなかった。その後、子規は俳句に集中し、俳句の革新を進める。子規がめざした俳句の革新とは、月並み俳句の打破。月並みとは発想や表現が類型化・固定化し、陳腐で通俗になったもの。子規は俳句による写生を提案する。その後、子規は短歌の革新と文章の革新に乗り出すが生きられる時間が足りなかった。

本書を読んでいて写真を撮るうえでも参考になることが多かった。月並みということは写真でもよく言われることだが、月並みから脱却することはなかなか難しい。わかりやすいもののほうが受けが良いという傾向があるし、誰にもみられない作品は存在しているといえるのかと。だからといって他人の評価ばかり気にしていると自分が何をしているかわからなくなる。何にしても自作について語ることが多くなっているのも最近の傾向。自作について語るのは、管理人はあまり好きではなく、見たひとがどう感じるかということのほうが大切だと思っている。本書の「しゃべる作者」を読んで、「我が意を得たり」だった。

自作について解説する人はまだ俳句のうまくない人だ。あるレベルに達すると、解説をしなくなる。要するに、くどくど自作を語るのはまだ駄目な人である。実際、句会を重ねていると、次第に自作を語らなくなる。
なぜ自作を語ってはいけないのか。どのように作ったかではなく、どのように読めるかが、句会のポイントであり、また、俳句の要諦でもあるから。作者がどのような意図でどのように苦心して作ったかなどはどうでもよい。だから、句会では作者名を伏せて投句し、だれの作かわからないものを選んだり批評したりする。
もちろん、どう作るか、ということは大事である。その努力や苦心は大いにしなければならない。でも、その作る過程は、菓子職人が努力、工夫して工房にこもっている過程と同じ。その過程そのものは菓子ではない。菓子職人は菓子を売るのであり、俳人は俳句を売る。作る過程の話などは職人仲間、俳人仲間の、いわば研修に過ぎない。
作者が自作についてよくしゃべるようになったのは、おそらく近代的現象であろう。短歌や俳句が作者という個人性に根ざすようになったとき、作者は作品の表にしゃしゃり出てしゃべり始めた。作品そのものでも作者はしゃべり、そのような作品が境涯、生活、人生などの用語で評価されるようにもなった。