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「第一阿房列車」 内田百閒

第一阿房列車 (新潮文庫)
『読鉄全書』で「阿房列車」がとても面白かったので「第一~三阿房列車」を買ってきた。新潮文庫版の解説は伊藤整。ヒマラヤ山系君(平山三郎)をお供にした列車旅は、今では考えられないようなのんびりしたものだ。

列車に乗るのは大抵午後で、近場でも宿に泊まり毎晩お酒を飲む。列車に乗るのが2~3時間なんてことも珍しくない。乗車時間が長い場合、食堂車で飲んで時間を過ごす。このコンビはよく飲む。降りた駅では駅長室で休憩したり、駅長の出迎えがあったり、駅員が街を案内することもある。国鉄に勤めているヒマラヤ山系君が何日も休みを取れるのが不思議なのだが。

所謂観光地や名所旧跡はなるべく避ける。用事が無い、無用の旅が「阿房列車」。こんな時間の使い方ができた時代があったのかと感心した。「特別阿房列車」では前置きが長く、なかなか大阪へ旅立たない。現代は「忙しい」「時間が無い」「スケジュールが一杯」と何かと忙しない。というか暇な人間は何か軽蔑の対象のように思われている。「阿房列車」が読み継がれているのはそんな時代を反映しているのかもしれない。

阿房と云うのは、人の思わくに調子を合わせてそう云うだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考えてはいない。用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う。
用事がないのに出かけるのだから、三等や二等には乗りたくない。汽車の中では一等が一番いい。私は五十になった時分から、これからは一等でなければ乗らないときめた。そうきめても、お金がなくて用事が出来れば止むを得ないから、三等に乗るかも知れない。しかしどっちつかずの曖昧な二等には乗りたくない。二等に乗っている人の顔附きは嫌いである。
戦時中から戦後にかけて、何遍も地方からの招請を受けたが、当時はどの線にも一等車を聯結しなかったから、皆ことわった。遠慮のない相手には一等でなければ出掛けないと明言したが、行くつもりなのを、そう云う事情で断ったのでなく、もともと行きたくないから一等車を口実にしたのだが、終戦後、世の中が元の様になおりかけて来ると、いろんな物が復活し、主な線には一等車をつなぎ出したから、この次に何か云って来たら、どう云ってことわろうかと思う。