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「パンとペン」 黒岩比佐子

パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い (講談社文庫)
「パンとペン」は田中伸尚著「大逆事件」で紹介されていて興味があったので読んでみた。本書は大逆事件後、売文社時代の堺利彦を主にとり上げている。それは社会主義運動の「冬の時代」でもあった。著者は売文社という社名に惹きつけられたのが本書を書くきっかけだったそうだ。「パンとペン」は売文社のシンボルマークだった。著者は本書刊行(2010年10月)の翌月に逝去した。

堺利彦と言えば「平民新聞」を発行した平民社が有名である。堺利彦は日露戦争非戦を唱え、盟友の幸徳秋水と共に萬朝報を退社し平民社を結成する。しかしながら平民社は2年余りの活動で解散する。その後、大逆事件によって幸徳秋水が刑死し、社会主義運動の「冬の時代」が始まる。堺利彦は自分のためというよりも社会主義運動に関わった人びとを救済するために売文社を創立した。堺利彦は作家としてそれなり収入が得ることができた。売文社において堺利彦は、「冬の時代」で就職もままならない運動家を社員としたり、仕事を紹介したりして、猫かぶりをしてその時期を待った。

売文社はその社名もさることながら、様々な仕事を引き受けた。写真説明文の英訳、雅号の選定、商標考案、カタログ編集及意匠、雑誌原稿、英文及独文書簡数通、性欲記事英訳、裁判判決文英訳、某学校卒業式生徒総代答辞等々。売文社は今なら広告代理店、翻訳会社、編集プロダクションをまとめたような会社だった。このような売文社も堺利彦が経営から遠ざかり、高畠素之が主導権を握ると高畠派のメンバーが堺利彦を誹謗する記事を雑誌に掲載するようになる。高畠素之は国家社会主義に傾倒し、結局売文社は分裂後解散することになる。堺利彦がいなければ多様な活動を行う売文社は成り立たなかった。

本書では売文社解散後の堺利彦については詳しく書かれていない。堺利彦は軽い脳溢血で倒れた後、全国労農大衆党対支出兵反対闘争委員長に就任した。1931年12月2日の会合の後帰宅途中に堺利彦は再び倒れ、その日から寝込むことになる。そして堺利彦は1933年1月23日自宅で亡くなる。

堺の親友だった幸徳秋水は大逆罪で絞首刑になり、堺の平民社以来の旧友だった大杉栄は関東大震災後に虐殺された。革命家として劇的な死を遂げたことで、二人の名はいまも鮮明に記憶されている。対照的に、堺利彦の死を知る人は多くない。
堺は晩年、脳溢血で倒れて身体の自由を失い、自宅療養中に六十余年の生涯を終えることになった。それは、たしかに地味な最期だった。だがその前に堺は、大逆事件でも関東大震災でも危うく命を失いかけている。幸徳秋水や大杉栄と同じように、社会に衝撃を与える死にかたをしても不思議ではなかったのだ。幸運にも、堺はそのなかを生き抜いて、一九三三(昭和八)年一月二十三日に畳の上で亡くなった。
私は、あえて「幸運にも」といいたい。”ドラマチックな死”ではなかったために、堺利彦という名前が人々の記憶に残らなかったとしても-。幸徳秋水や大杉栄の死はあまりにも無惨である。
大逆事件で大勢の同志が殺されたなかで、幸運にも生き残った堺は、「冬の時代」と呼ばれる暗黒時代の弾圧にも屈せず、晩年まで闘い続けた。もし堺利彦がいなかったら、明治末期から大正期にかけての日本の社会主義運動はどうなっていただろうか。