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「革命伝説 大逆事件4」 神崎清


「革命伝説」も最終巻となった。第4巻は刑確定から死刑執行とその後を取り上げている。この巻を読んでいると特に気が滅入ってきた。普段おとなしい堺利彦が幸徳秋水らが死刑執行された日に泥酔して暴れたというのも分かる気がする。堺利彦を尾行していた刑事が一緒にいた石川三四郎に「どうか堺さんをお家まで送って下さい」と哀願したくらいだった。

1911年1月18日鶴裁判長は幸徳秋水以下24名に刑法七三条を適用して死刑判決を下す。爆発物取締罰則違反として新田融は懲役11年、新村善兵衛は懲役8年の判決だった。翌19日に高木顕明、武田九平、岡林寅松、小松丑治、岡本穎一郎、成石勘三郎、峯尾節堂、崎久保誓一、坂本清馬、三浦安太郎、佐々木道元、飛松与次郎らは天皇の特赦により無期懲役に減刑される。そのうち、高木顕明は1914年6月24日獄中自死、三浦安太郎は1916年5月18日獄中自死、佐々木道元は1916年7月15日獄中病死、岡本穎一郎は1917年7月27日獄中病死、峯尾節堂は1919年3月6日獄中病死と5名が獄死した。政府内では死刑及び特赦による減刑は判決前に既に決定していた。三権分立などはまさに絵に描いた餅だった。

1911年1月24日に11名の死刑が執行された。最初に幸徳秋水が呼ばれた。死亡時刻は午前8時6分。2人目は新美卯一郎で死亡時刻は午前8時55分。3人目は奥宮健之で死亡時刻は午前9時42分。4人目は成石平四郎で死亡時刻は午前10時34分。5人目は内山愚童で死亡時刻は午前11時23分。6人目は宮下太吉。宮下は死刑執行最中に「無政府党万歳」と叫ぼうとして、「無政府党万」まで叫んだところで直ぐに執行看守が機車を転じた。死亡時刻は午後0時16分。7人目は森近運平で死亡時刻は午後1時45分。

8人目は大石誠之助。大石は堺利彦との面会で「今度の事件は真に嘘から出た真である。人生は要するにこんなものであろう」と語っていた。死亡時刻は午後2時23分。9人目は新村忠雄で死亡時刻は午後2時50分。10人目は松尾卯一太で死亡時刻は午後3時28分。11人目は古河力作。典獄が死刑執行を言い渡すと古河は「どうも腹がへってては元気よく死ぬることもできますまい」といって食べ物を催促した。古河は洋かん二本とみかん一つを食べた。死亡時刻は午後3時58分。11人目の古河で当日の死刑執行は打ち切られた。管野すがの死刑執行は翌日になった。管野は「われ主義のため死す」と叫んで絞首された。死亡時刻は1911年1月25日午前8時28分。

「革命伝説」各巻には内容の重複があり、文体も第1巻と第4巻とでは相当違っている。神崎清は1960年に中央公論社から「革命伝説天皇暗殺の巻」「革命伝説爆裂弾の巻」を出版しており、この2巻が本書の第1巻と第2巻に引き継ぎ副題を変更し、第3巻と第4巻を書き足して「革命伝説」を完成させた。あとがきによると大逆事件死刑因獄中記等の資料が入手できたことがこの大著のきっかけだったらしい。