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「風景論」 港千尋


本書は読売新聞紙上に連載された『考景』が核となっている。本書の第7章1~7は別の本が初出。連載時は白黒だった写真が本書ではカラー(68点)となっている。内容は多岐にわたり、著者は地球上の様々な場所を訪れる。台北からイスタンブール、その次はメキシコとアメリカの国境線と読んでいてちょっと戸惑う箇所があった。

「全村避難した飯館村 2011年6月」とある写真を見ても、そこが放射線量が高く人が住めない場所とはわからない。キャプションを見てやっと誰もいない理由が理解できる。あと何年かするとキャプションを見ても分からなくなるかもしれない。昔の不知火海の写真を見ても、明らかに水俣病患者とわかる人が写っていないと水銀に汚染された海とはわからない。廃墟の風景に人々が惹きつけられるのは、朽ち果てた風景に別の何かを見るからかもしれない。レイ・ブラッドベリの「火星年代記」で火星人と地球人が見る風景が違って見えるように。現代ではGoogle Earthで火星の表面の画像を見られるが。

以前川崎の工場地帯を撮影していた時、コンビニに立ち寄ったら店員さんに「鉄道?工場?」と聞かれて返事に困ったことがあった。コンビニの近くは、「工場萌え」のひとが夜な夜なカメラを持って歩いているそうだ。「鉄ちゃん」もよく来るということだった。殺風景な工場地帯や廃墟が人気の撮影スポットになったのは平成になってからのようだ。管理人も炭鉱跡地を撮るようになったのはここ2~3年だ。理由はよくわからなかったが、本書を読んでその理由の一端を理解したような気がした。まあ誤解かもしれないが。

廃墟も工場も「殺風景」な場所であえて人の近づくところではなかった。だがそんな殺風景への欲望が芽生えたのが平成だったとすれば、何か理由があるだろう。稼働中の工業地帯と、役目を終えた廃墟とではおよそ共通するものは何もないが、ひとつ考えられるのは、風景の「物理的な手応え」である。
生活の均一化と画一化が進み、どこへ行っても同じモノが同じ背景のなかに並ぶ、等質な世界が訪れたのが平成だったとするなら、人間には等質だけでは生きられない生理的な欲求があるのかもしれない。異質なモノの手触りを求めていたとき、それまで等閑視していた「殺風景」に行き当たったのではないだろうか。廃墟や工場は殺風景だからこそ、いいのだ。等質世界の代償として生まれた息苦しさから逃れるため、日本人が無意識のうちに探り当てていた風景だと言えるかもしれない。
その意味でも殺風景は、写真史における大きなテーマのひとつである。伝統的な風景写真よりも、殺風景写真のほうにリアルを感じるというのが、平成時代の特徴になるだろうか。