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「みんな昔はこどもだった」 池内紀


「みんな昔子供だった」といってもイエローモンキーの話ではなく、本書は15人の個性的な仕事をした人々の子供時代を描いている。子供時代だけではないので小伝といったところ。柳田国男だけ頁数が多いと思ったら、『現代思想』に発表した「極大と極小-国男少年」に基づいてる。宮本常一の章も『現代思想』に発表したもので、後の13篇は書き下ろし。

15人の中で一番印象に残ったは野坂昭如だった。野坂昭如は早くに母を亡くし、神戸へ養子にだされた。14歳のとき神戸大空襲で養父は爆死、養母は大やけどを負う。疎開先で1歳3ヶ月の義妹は餓死する。野坂昭如の少年時代は戦争の真っ只中。野坂昭如の章には米軍の空襲した月日、場所、爆撃機の数の記述が並ぶ。神戸を焼け出された野坂昭如は義妹を連れて西宮の山の近くに部屋を借りる。お粥を炊いて、妹に食べさせなければと思っても、自然と米粒は自分で食べてしまい、重湯を冷ますためにふうふうしているうちに思わず自分で飲みこんでしまう。空腹で夜眠れなくなった義妹は大声で泣き出す。困った野坂は拳で義妹の頭を殴った。頭を殴ると義妹はおとなしくなり眠った。実際は脳震盪をおこし気を失ったただけで、眠ったと勘違いしていた。西宮から福井県春江へ移り、戦争が終わって1週間後に餓死する。「ぼくは恵子のことを考えると、どうにもならなくなってしまうのだ」と野坂は回想で述べている。

畦地梅太郎と藤牧義夫は本書で初めて知った。深沢七郎がギタリストだったとは知らなかった。高峰秀子と養母の金銭に纏わる話はなかにし礼と兄との関係を思い出した。柳田国男は子供ころからできが違った。こう見てくると何かを成し遂げるひとは子供時代から違っていたというありきたりな結論になってしまうが。

手塚治虫から野坂昭如まで十五人を書き継いだ。記憶に十五回の転生をさせたぐあいだ。そんなことをして何をあきらかにしたかったのか。
誰もが体験で知っている。立ちもどり、あともどりするとわかることだが、記憶は循環する。ちょうど季節が循環するように、冬が終わると春がもどってくる。ひとつ季節とちがうのは、循環とともに記憶のなかにひそんでいたもの、気づかずにいたものが、やおら立ちあらわれる。回想がいや応なく自己認識をともなうのは、記憶のそなえている。そんな奇妙な性格による。こどもを仲介させると、その性格がなおのこと強まるだろう。のちのそれぞれの特徴がおおよそすべて、すでに顔をのぞかせていないだろうか。