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「余白の声」 鈴木道彦


本書は著者がここ10年間に行った講演から六つの講演をまとめたもの。後半の三つの講演は『越境の時』で取り上げた小松川事件と金喜老事件を通じて、現在の在日民族問題について語っている。アマゾンでは『越境の時』や『異郷の季節(新装版)』が絶版状態となっており残念。今ではサルトルやフランツ・ファノンを読むひとも少ないのだろう。21世紀は大のつくような知識人の時代ではなくなった。

小松川事件は、1958年に小松川高校で起こった殺人事件。犯人からの電話通報により行方不明になっていた小松川高校定時制の女子生徒の死体が高校の屋上で発見される。犯人は日本名金子鎮宇こと李珍宇で在日朝鮮人だった。逮捕後、李珍宇は別の殺人についても自供する。李珍宇は母語を話せず、ずっと日本語を使い日本人として育った。李珍宇は貧困で本が買えないため、図書館から本を盗んで読んでいた。1961年に未成年であったが死刑が確定し、翌年に死刑が執行され、李珍宇は22歳で刑死する。著者は死刑執行後に刊行された獄中書簡集『罪と死と愛と』で李珍宇を知る。李珍宇は獄中で朝鮮語を習ったり、膨大な量の読書をこなす。著者はこれだけの知性をもった青年が犯罪を犯すことをランボーやジュネとの比較で考察する。在日朝鮮人の問題は、「日本語を通しても、すべての日本人の問題であり、日本人の責任に関わる」と著者は考えた。

最近内閣改造のたびに、大臣が「教育勅語」を口にすることが多いのは何故なのだろう。それはしばしば戦前に回帰するような考えが多い。著者によれば、戦前の侵略や植民地主義を深刻に反省することを怠ったことが、極右政権が我が物顔に振る舞う現在の日本を生む原因であった。著者は今年で89歳で、人生の余白というべき年齢になってもなお現代日本に危機感を持って問いかける。『越境の時』や『異郷の季節(新装版)』を読んだときも感じた著者のぶれない考えにとても感心した。

第二次世界大戦前後のことは、今なお私の記憶に鮮明である。単に東京大空襲で、降ってくる焼夷弾による火の粉を避けながら逃げ回ったり、何もかもなくなった焼け野原に呆然と立ち尽くしたりした記憶だけではない。盧溝橋事件から真珠湾奇襲攻撃に至る一九三〇年代後半から四〇年代にかけては、私の小学校時代に当たっていたが、その時代の雰囲気も今なおはっきり肌で憶えている。
子ども心にも、何かたいへんなことが起こっているという怯えを感じることがないではなかったし、事実、われわれ小学生が南京陥落を祝う籏行列などに駆り出されているときに、中国では南京事件があり、その翌年からは執拗な重慶空爆が始まっていたのである。招集されて戦地に送られた兵士たちは、たいへんな苦しみを嘗め、地獄の経験をしたに違いないが、それでも「銃後」と呼ばれた内地では、周囲の大人たちも能天気で、統制が進み、物資がなくなり始めてはいても、普段通りの生活が続いていた。それから壊滅的な大戦に至る時間は、ごく僅かであった。
その私にとって現在の日本は、そのまま一九三〇年代後半の日本の空気に重なって見える。重大なことが着々と内部で準備され、進行中であるのに、国民の多くもメディアも、ほとんど不安を感じているようには思われない。この鈍感さ、今日がそのまま明日につながればそれでよいとするこの大勢順応主義は、日本人の最大の特徴なのかもしれない。
なるほど、敗戦とアメリカ占領軍の到着で、日本もいったん変わったかに見える。しかしこれは日本人が変わったのではなく、戦後には大勢順応主義が、実質を欠いた骨抜きの民主主義という形をとっただけにすぎない。それをいち早く見抜いた人もいないわけではなかった。たとえば、私の大学時代の恩師渡辺一夫氏は、学生がお宅に伺うと、酒を振る舞いながら「軍艦マーチ」のレコードをかけるのが習わしだったが、これは日本人が何一つ変わっていないことを示す痛烈な皮肉だった。