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「その後の福島」 吉田千亜


本書は「地図から消される街」と共に購入。「地図から消される街」は新聞記者という立場で、客観性と事実を第一にしていた。本書はより避難者(特に自主避難者)に近いところからの報告になっている。著者が避難者の実態を伝えようとしている熱意は感じられるが、似たような内容の話が多く違いがわかりにくいところがあった。原子力発電事故の解説的部分で図表・写真が本文中には一切ないので余計そのように感じた。

自主避難者と福島県内に残った人たちとの軋轢が想像以上のものがある。ある自主避難者に対して「放射脳」と非難していたのがご近所さんだったひとというのは何ともやるせない気持ちになる。自主避難者が地元の人たちに「除染したので安全」「国や自治体が安全と言っている」「私たちは避難せず生活している」と言われ返す言葉が見つからず、自分たちが間違っているのかと心が傷つき体調不良やうつ病になった自主避難者がいるという。

福島第一原子力発電所事故後、放射性物質に関する規制が緩和された。長期低線量被曝の人体に対する影響は明確な基準がなく、本書のインタビューにもあったように「人体実験にされている」と言われてもおかしくない状況だ。結局、国も地元自治体も当てにならないとなるとそれこそ「逃げる」しかないのか。災害が多い日本で、いつ自分がその当事者になるのかわからない。

同じ原発事故被害者であっても、一人ひとりの現在地は違う。「寄り添う」と言いながら、その一人ひとりの抱える現実に、国が真っ先に目をつぶった。国と東電の起こした原発事故が、被害者の「自己責任」にされつつある。明るい、希望のある復興の報道だけを見て、原発事故は過去の話と思わないでほしい、と願っている。
最終章で森松明希子さんが言っていたように、誰かに任せるのでは済まない社会がもうとっくに始まっている。任せきり社会は、ずっと昔から続いているのだろう。私も気がつくのが遅かった一人だ。「私の帰る場所」とは、人任せではいられないことに気がついた今の、この場所なのかもしれない。
被害を受けた人が、その人らしく生きることができるようになる日が原発事故の終わりだとしたら、事故の語りにくさがなおも続く現状はその対極にある。それも、つくられた一つの被害だ。