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「トラブゾンの猫」 玄順恵


「トラブゾンの猫」は小田実さんが死の直前まで書いていた寓話の題名。本書は著者が小田さんと最後に旅をした時の回想記。この旅行の三ヶ月後に小田さんは亡くなる。「小田実との最後の旅」とはいえ、内容は古代アテナイの民主主義とは何かといったところ。旅の途中で作家と猫との対話があり、ギリシャ哲学者の対話編の趣がる。最後の章は、散骨のためギリシャのサントリーニ島へ旅する記録。小田実さんの骨は地中海に眠っている。

本書を読んでいて小田実さんが生き返って書いているのではと錯覚するようなところがいくつかあった。デモクラシーの語源となったギリシャ語のデモス・クラトスは、デモスが<力>で、クラトスは<小さな人間>という意味。「民主主義」とは<小さな人間>が自らの<力>を自覚し、それを信じて発揮することである。王様のいなかったギリシャでは、選挙よりも公開の場での言論の自由が優先されたのに対して、ローマでは言論の自由よりも選挙の多数決のほうが重んじられた。現代日本では、民主主義と言えば選挙の投票ことだと思い、多数決で選ばれた政治家は、それで民主主義が達成されたと誤解している。一回当選した多くの政治家は次も当選することが一番の関心事になる。「民主主義は選挙だけじゃない。デモをして、異議を申し立て、熟議をすること、その上で一人ひとりの異質な価値を互いに認め合う者どうしがともに社会で生きることなんだ」。

本書のなかで小田実さんが使っていたカメラのことについて書かれているところがある。小田実さんは、西ベルリンに住んでいたころ、1932年製のライカを骨董屋で見つけ購入した。所謂バルナックライカはフィルムの装填が面倒で、取り扱いが難しい。フィルムの巻き上げはレバーでなくノブを回すので、速写には適さない。カメラ本体が小ぶりなのは設計したオスカー・バルナックが小柄だった為という話を聞いたことがある。小田実さんがライカのほか、ニコンやローライフレックスも使っていたとは知らなかった。

今にしてつくづく後悔することがある。私は、このライカの使い方を知らないのだ。ライカどころか、作家の愛用したニコンやローライを手のひらにのせてみたことすらない。ベルリン時代に生まれた娘は中学生になった頃、父親からしっかりとそれらの使い方を教わっていたというのに。
私は常に被写体だったから、カメラのファインダーをのぞいてみようなど一度も思ったことがなかったし、使い方も教わりはしなかった。私が被写体になった写真は山のようにあるのに、私が作家を撮った写真がほとんどないことに後で気がついた。
私が最初で最後に撮ったと言える作家のスナップ写真は、あのトロイの遺跡で猫を抱いているものと、レスボス島を背景にしたもの、そしてトラブゾンの雪山を望む写真、それくらいだろう。
いつもそうだが、自分の愚かさ加減を自覚するのは事後であるのがつらい。私の後悔の念は、見上げる空で浮かんでは消え、また立ち上がる雲のように果てしないのだ。