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「北米体験再考」 鶴見俊輔


本書は著者がアメリカ留学中にとらえることができなかったアメリカの側面を考えなおした論考。本書で「アメリカ」は「米国」ないしは「北米」と書かれている。著者の考えによれば、アメリカ合衆国が「アメリカ」すべてを代表するものではないからだ。”United States Of America”は「合衆国」よりも「合州国」のほうが正しい翻訳である。「合衆国」は中国語訳からきているそうだ。

著者がアメリカ留学中に気づかなかったものとしてアメリカの社会主義、アメリカインディアン、黒人差別をあげている。第一章ではマシースン、第二章ではスナイダー、第三章ではフェザーストーンとクリーヴァアを取り上げている。マシースンはハーヴァード大学の教授でその教員組合の創立者の一人。1950年マッカーシズムのさなか自殺する。スナイダーは詩人で日本に住んだこともあった。大学ではアメリカインディアンの研究をしていた。フェザーストーンはSNCC(学生非暴力調整委員会)の活動家。ベ平連の招きにより日本各地で講演を行った。1970年に死亡。クリーヴァアは黒豹党の活動家。

著者はハーバード大学在学中、教室から教室への移動で校庭を歩く以外大学で殆ど何もしなかった。校庭を歩くときよく話をした相手がジャマイカからきた黒人学生で人種差別はけしからんということを話題にしていた。相手は数少ない有色人種だった著者を同類と見なして話しかけたのだと今になって気づく。SNCCや黒豹党の活動家たちが、何か書物にある主張に基づいて状況を判断することはない。彼らは抑圧された自分の経験から作り上げた思想によって行動する方法を持っている。著者はそのような方法に重大なプラグマティズムが現れていると思っている。

昭和史のなかでは、ドイツ留学生にくらべて北米留学生は国家主義の推進力となる場合がすくなかったが、白人の見る北米に自分たちの価値基準を同化してそこから同時代の日本を批判するところにとどまっていたように思える。北米留学生の中からは、斎藤隆夫・清沢洌・高木八尺のように、第二次大戦までの一五年戦争の時代を通じて、軍国主義を批判しつづけた人びとがいるが、この人びとの場合にも、北米にいる時に、黒人、インディアン、南米諸国民から北米を見るという視点は育たなかった。留学というもののもつ階級性が、ここにあらわれている。昭和に入ってからの私の留学の例は、この制約の中にあり、黒人が北米についての私の視野の構造を照しだす視点になるということを、そのころは考えることもできなかった。私はそのころ、プラグマティズムの文献を読んでおり、その時に書いた卒業論文を戦後、『アメリカ哲学』(1950年)という本に書きあらためたが、黒人にとってアメリカ哲学とは何か、黒人にとってプラグマティズムとは何かを考えたこともなかった。おなじ一九三九年に入学した一千人もいる同級生の中でほんどただ一人だけ親しくしていた黒人学生ジェイムス・マーカスは、私の哲学研究には何の刻印も残していない。