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「砂の女」 安部公房


最初に読んだ時は、新潮社純文学書下ろし特別作品の単行本だった。久しぶりに読み直して記憶に残っていたのは最初と最後の場面だった。最近、昔読んだ本を読み直すことが多くなっている。書店で安部公房の文庫本をさがしていたら、帯にピース・又吉が愛してやまない20冊とあったので「R62号の発明・鉛の卵」を買うのをやめた。レジの店員さんに何か又吉先生が推薦しているから「R62号の発明・鉛の卵」を買うんじゃないかと思われるのが何か嫌な感じなので。店員さんはそんなこと考えないだろうけど。管理人は又吉先生が生まれる前から安部公房を読んでいるので。

ある男が昆虫採集に来た砂丘で、最終バスをのがし集落にある家に一泊することになる。翌日男が帰ろうとすると縄ばしごが外され、帰ることが出来なくなる。昆虫採集に来たのに、集落の人間採集に捕まってしまう。この小説を最初に読んだ時、こんな集落が実際にあるんじゃないかとちょっと恐くなった。男が何とか砂の穴から脱出しようと必死になる。一度穴から出ることに成功するが底なしの砂場に迷い込み集落の住人に助けられ元の砂の穴に戻される。最後、一緒に住んでいる女が子宮外妊娠で穴から出されて、男も外へ出ることが可能になる。しかしながら、男は砂の穴の家に留まることにする。最後、裁判所の審判で男は失踪者と宣告される。

「砂の女」と言いながら、主人公は昆虫採集に来た男。本当の主人公は砂なのかもしれい。女にはこれと言った特徴がなく、ひたすら砂の搬出を行う。砂のかき出しを休むと家はたちまち砂に飲みこまれてしまう。閉塞状況下の人間の自由とは何か。砂は資本主義の欲望の象徴なのか。「砂の女」はひたすら従順に生きる日本人を表現しているのか。そうなると男は反体制派なのか。いろいろ解釈できる仕掛けが「砂の女」にはある。だから世界の20数ヵ国語に翻訳されたのだろう。「砂の女」の文体は、日本特有の湿ったところがない乾いた文体。管理人が安部公房作品をよく読んだのはこの文体の魅力だった。管理人は評価の高い映画版「砂の女」を見たことがあるけれども、やはり小説のほうが面白かった。