KAZUHIKO KIKUCHI BLOG

「君が異端だった頃」 島田雅彦


本書の帯には「最後の文士・島田雅彦による自伝的青春私小説」とあり、文士と言う言葉を久しぶりに見た感じがする。私小説ながら、二人称の「君」で書かれているのは「ただ、一人称で書く恥ずかしさに耐えられず、私事を他人事と突き放した」ため。私小説を読むのは何か他人の秘め事を覗き見る感じで、何となく後ろめたさが残るがやっぱり興味津々といったところ。赤裸々な私小説というのは、管理人は苦手であまり読んでこなかった。あんな事やそんな事恥ずかしくも無くよく書けるなと思うが、そのような事を気にしていたら小説なんか書けないんだろう。

管理人は高校時代-カワサキ・ディープ・サウス-の章が一番面白かった。管理人と著者は年齢が近いので、高校生の頃を思い出した。川崎に住んだのはおとになってから、中原区しか住んだことがないので、当時の川崎南部方面の雰囲気はあまり知らない。管理人が高校生の頃、あちこちに引きずるようなスカートで眉毛の無い女子高生がいたけど恐いので遠巻きに眺めていた。スタンリー・キューブリック監督の作品では「2001年宇宙への旅」にショックを受けて、やはり重力をちゃんと描かないSF映画はダメだと思っていた。「時計じかけのオレンジ」は「2001年宇宙への旅」との二本立てで観て凄い疲れたことを憶えている。埴谷雄高や安部公房を読む高校生はやはり異端だったのかと本書を読んで思った。管理人は理系志望だったので小説家になろうとは思わなかった。

著者が芥川賞候補に6回なり、全て落選し、5回受賞作無しになったのは当時話題になっていたと思う。管理人も安岡章太郎が選考委員にいる間は受賞できないだろうと漠然と思っていた。当時まだ文壇があり、長老の作家たちの老害ぶりを噂に聞いていた。芥川賞は何回か候補になって落選すると、文藝春秋社からその作家の作品をもう候補に選ばない旨の連絡が来るとは知らなかった。ネットでは本書で描かれている不倫が話題になっているそうで、ドロドロの三角関係は格好の噂のネタになる。作家の不倫は週刊誌が取り上げないとどこかで読んだことがある。週刊誌ネタで人気作家に執筆拒否されたら出版社が困るらしい。

「文豪列伝」では中上健次と著者との関係が興味深かった。中上健次の蛮行というか奇行は埴谷雄高さんのエッセイで読んでいたが当事者になったら厄介だろうなあと思っていた。中上健次がタモリのTV番組にゲストで登場した時、ゲッソリ痩せて顔色が悪かったのを見て驚いたのを憶えている。その後すぐ中上健次が亡くなって妙に納得した。中上健次が病院に入院しているとき文春の編集者に「島田を守れ。オレが死んだら、誰もあいつを守ってやれない」と言っていたそうだ。著者に対する蛮行は一種の愛情表現だったらしい。

過去はアルバムのように、在りし日のままに永久保存できるものではなく、歴史がしばしば修正されるのに似て、隠蔽、抹消、捏造が施されてしまうものである。回顧録、伝記の類は大抵の場合、嘘で塗り固められている。一度ついた嘘がばれそうになると、また別の嘘を上書きする羽目になる。人は自分の記憶を縒り合わせ、「自己」とはもともと、無数の他者との関係、その人を取り巻く環境や現象が複雑に絡み合った結果なので、自己都合で書き換えることはできない。
それでも自分の幼年時代、少年時代とうまく折り合う術はある。その荒唐無稽をありのまま受け容れよ。恥を捨て、正直に洗いざらい、ぶちまけよ。カソリック教徒でなければ、許しなど乞わず、罰を受けよ。おのが過去を包み隠したところで、死後に誰かに暴かれるのがオチだ。ならば、真実を述べ、安らかな気分であの世へ出向いた方がよいのではないか。
そう講釈した以上は模範を見せなければならない。筆が走り過ぎたり、記憶違いやかつて見た夢が混入する可能性はあるが、ここに書かれていることは全て実話である。