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「ボンヘッファーとその時代」 宮田光雄


本書のもとになったのは岩波セミナーブックス「ボンヘッファーを読む」。本書はamazonでは品切れ状態だったが、hontoでは普通に買えた。ディートリッヒ・ボンヘッファーはプロテスタント神学者で、反ナチ抵抗運動へ参加し逮捕・投獄され1945年4月に処刑された。その時ボンヘッファーは39歳だった。本書序章ではナチ時代の鳥瞰、第一章ではボンヘッファーの生涯を振り返り、第二章から第七章では著作や書簡を通じてボンヘッファーの思想を読み解き、第八章では東ドイツにおけるボンヘッファー思想の受容について述べている。第九章には旧稿「ボンヘッファーと日本」を書き直して再録している。

ボンヘッファーは1906年2月4日、ブレスラウ(現ポーランド・ブロツワフ)で生まれた。テュービンゲン大学で神学を学び、21歳のとき神学博士の学位を取得している。スペインのバルセロナにあるドイツ人教会で1年間牧師補として勤務する。その後、ベルリンに戻り大学教授資格論文に取り組む。正式に牧師となる任職式には年齢が足りないため、アメリカのユニオン神学校に1年あまり留学する。アメリカから帰国後、ベルリン大学の私講師として組織神学の講義を始めた。1933年ロンドンにあるドイツ人教会の牧師に招聘され、1935年に帰国する。イギリスからの帰国後、告白教会に属するフィンケンヴァルデの牧師研修所で指導にあたる。1937年秋には牧師研修所がゲシュタポによって閉鎖され、1940年には完全な禁止措置をとられてしまう。

ボンヘッファーは1939年6月アメリカからの招待でニューヨークへ渡る。ボンヘッファーはアメリカへの亡命を断り、1939年7月ドイツ行きの船に乗る。1940年彼はヒトラーに対する反乱計画に参加する。そのため国防軍諜報部の対外連絡員として勤務することにした。この時の国防軍諜報部は、ヒトラー政権を転覆しようとする軍部の抵抗運動の中枢を担う存在だった。1943年4月5日ボンヘッファーは兵役免除やユダヤ人の国外逃亡幇助などの容疑で逮捕される。1944年7月20日ヒトラー暗殺計画は失敗する。9月諜報部の文書が発見され、ボンヘッファーの反乱計画への関与が明るみに出て、テーゲルの軍用刑務所からゲシュタポの地下牢へ移送される。1945年収容所を転々とした後、4月9日ボンヘッファーはフロッセンビュルク収容所で処刑された。

神学思想については、管理人は全く素養が無いため、ボンヘッファーの思想部分については何だかよくわからない。政治とはあくまで人間のほう-此岸性-の問題で神とは無関係なので人間が解決するしかないのか。神学者のボンヘッファーが、ヒトラー暗殺計画に加担することは神学思想と矛盾するのではないかという疑問が管理人には最後まで残った。それは管理人が神とは何かが分からないためかもしれないが。管理人が面白く読めたのは「政治宗教と天皇制ファシズム」のところだった。キリスト教よりも神道のほうがまだ馴染みがあるせいか、日本の1930年代についての論考のほうがわかった気がした。昭和10年代の国家神道を持ち出そうとしている政治家が少なからず現代日本にいるのは、まだ民主主義や国民主権とかいう思想が戦後でも根づいていないということだろう。

政治と宗教との分離、さらには信教=良心の自由とは、古代国家いらい国家的後見のもとに立たされてきた人間が、いわば宗教的に《成人化》したことのメルクマールにほかなりません。そして個人の宗教的な成人化は、社会と政治の成人化と対応するはずでしょう。宗教の同一性が国民的統合のきずなとなり、国家宗教の権威が臣民の服従を正当化するという考え方は、もはや完全な時代錯誤にすぎません。国家は市民生活の外的条件を整備し保障することを課題とするのであり、それは、ただ世俗的手段をもってのみ遂行されうるでしょう。そしてこの国家の《世俗性》の自覚こそ、はじめて政治に本来固有な自律性と責任性とをもたらしうるのではないでしょうか。
すなわち、政治は純粋に相対的な事柄にのみ関わり、徹底的にこの世的に志向するものです。それによって、地上的な状況と時間との中で、現実の与件を用い、あたえられたチャンスを生かして勝負していかねばならないのです。政治的現実への冷静な対応、誤った政策決定から学習する能力、真の二者択一的政策の提示-総じて政治的課題の解決をザッハリヒにとりあげる合理的態度は、この世を真にこの世たらしめる成人した人間と成人した政治とによって、はじめて可能となるものでしょう。