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「人生と運命」 ワシーリー・グロスマン


本書は、ドイツ軍がスターリングラードを包囲した1942年からソ連軍がドイツ第六軍を包囲する大攻勢により勝利するまでを、物理学者ヴィクトルの一家を中心に描かれている。第一巻の登場人物の関係が少しわかりにくいのは、本書が元々「正義のための事業」の後編として書かれているため。著者のグロスマンは、赤軍従軍記者としてスターリングラードの攻防を取材しており、そのときの体験が小説の基となっている。

解説によれば、グロスマンは1960年「人生と運命」の原稿を「ズナーミヤ」編集部に持ち込んだ。ところが、翌年二月国家保安委員会の家宅捜索によって原稿・草稿・資料等は全て没収された。カーボン紙やインクリボンまで回収されたそうだ。スターリンの死後、出版の希望についてグロスマンはフルシチョフに手紙を書いた。しかしながら、グロスマンと引見した共産党中央委員会幹部は、「あなたの小説はソヴィエト国民に対し敵意があり、その発表はソヴィエト国民と国家のみならずソヴィエト国外で共産主義の戦っているすべての人々にも害をもたらすだろう」と、その出版は不可能と結論した。グロスマンの死後、「人生と運命」は1980年にようやく出版された。ペレストロイカ初期には、タイプ打ち清書原稿と草稿が現れ、第二版が出版された。

大粛清の1937年に、尋問する立場だった人間が1943年には密告により収容所送りになる。主人公は反ユダヤの立場から糾弾され、観念論的といわれた彼の論文がスターリンからの一本の電話によって、全てのひとから賞賛される。糾弾されたときには守っていた自分の思想の自由を、賞賛のなかで失い、でっち上げのゴーリキー殺害医師糾弾の手紙に署名してしまう。ガス室のなかで人々が見たもの何だったのか。アーレントの「全体主義の起源」で指摘されたようにヒトラーのドイツとスターリンのソ連の恐ろしいほどの類似性。第2巻後半から第3巻は面白く読めた。本書と武藤洋二さんの「天職の運命」を併せて読むと理解の助けとなると思う。あらゆるひとが同じ方向に向いている時、そのことに違和感を覚えるのが芸術家の役割だ。

恐ろしい時代には、人間は鍛冶屋のようにして自らの幸福をつくり上げることはできず、特赦を与えたり処刑したり、栄光を与えたり、貧しさの中に沈めたり、ラーゲリの塵にしたりする権利が世界の運命に与えられていることを彼らは知っている。けれども、世界の運命にも歴史の宿命にも、国家の怒りという不幸な運命にも、戦いの栄光にも屈辱にも、人間と呼ばれる者たちを変える権利は与えられておらず、なされた労苦に対して待っているものが栄光であれ、孤独、絶望と貧窮、ラーゲリと処刑であれ、彼らは人間として生き、人間として死ぬのであり、死んだ者たちは人間として死ぬことができたのだということ-そこに、世の中にこれまでもあったし、これからもある、やってきては過ぎ去っていく、あらゆる尊大なものや非人間的なものに対する彼らの悲しい人間的な永遠の勝利があるのだ。